- ベストアンサー
無心状態の記憶
- 江戸時代の火事場の馬鹿力が庶民に走法を閃かせず、どのように記憶に残るのか疑問がある。
- 火事場の馬鹿力が発動した際には、無心の突発的な判断が明確に自覚され、夢見のように記憶の中へ整理されるのか疑問がある。
- 火事場の馬鹿力の使い方への閃きは普段の稽古の賜物だと考えられるが、その記憶はどのように保存されるのか疑問がある。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
歩き方のことでちょいとご参考に、反閇というのもありますよ。 兎(?)歩というのも。 太極拳での歩き方はまた、独特ですね。名前は知りません。ちょいと難しいがなにか全身運動ですね。 武道では腰に太刀や刀がありますから、これまた違う。上下にゆれてはいけない。無論左右もいけない。
その他の回答 (3)
- codotjtp
- ベストアンサー率26% (40/149)
つまり、自動的な書き換えが可能になっているからこそ、 其の仕組みが演算を助けてくれ得るのです。
補足
経験は記憶によって制御されているのでしょうか?
- codotjtp
- ベストアンサー率26% (40/149)
ストアドプログラミング方式の情報処理の際の主記憶装置の働きと同じく、緊急事態の下では、一時的に其の場の情報を取り込みながらも励起状態からの開放の後には其の記憶から開放されている、という展開が望ましいのです。
補足
感情移入による分別が介在していない、 という事情の解説なのでしょうか?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
BuffaloAndJtpさん、ご案内を戴いて何度も訪問はしたのですが、やはり答えるほどご質問を理解できないのです。何方かのご質問の後に続けばいいんですが、せっかちですので。 いわゆる昔のなんば歩きっていうのですね。明治の軍事教練から西欧的な歩調の歩き方が一般化したらしいですね。 私の小さい時、まぁ敗戦前ですがそんな歩き方をする友人も大人もいました。 あと火事場の絵の表現って、いわゆるお手上げっていうことの絵画化でしょうね。一つの情況表現ですよね。 ルサンチマンってよく判りませんが、ここに出てくる理由が尚更、わかりません。 『火事場の馬鹿力』の現場では表向きの日常的、他を慮っての思慮分別ばすっ飛んでいますよね。 所謂る本音、のっぴきならない自己性での判断と行為、そして存在の合一ですね。 つまり共同体やコミュニティにおける建て前やお体裁がすっ飛んじゃうんですね。 そういう現象って、『火事場』だけでなく、私たちはwakeful意識における思考をしないで行為や呼吸、鼓動そして生理や生活をしている時って経験しますね。 いつも罪なのはwakeful意識における小賢しい智恵でしょうか。 やはり質問には関係ないことでしたか。すみません。
お礼
別のページ(http://okwave.jp/qa/q6904397.html)に、 関連の質問をスピンオフさせて頂きましたから、 其処でも御教授を賜れませんでしょうか?
補足
御親切にして下さり、有り難う御座います。 此の問題の考察の為には、 先ず下記の内容に注目して頂きたいです。 (1)諸葛孔明とかアリストテレスとかが西洋近代科学的な発明を実際に行なっていません通りに、たとえ緊急事態に追い詰められましょうとも、全く知らない内容の閃きが思いつかれ得る訳では御座いません。つまり、ナンバ歩きの方式でしか移動し得なかった江戸庶民が火事場で西洋近代的な走法を思い付けた筈がないのです。 (寧ろ、火事場の様な危機的状況の下では、普段の習慣の蓄積結果が無意識の裡に参照されて、良くも悪しくも癖が増幅されるだけに留まるのです。) (2)ルサンチマン的な発想によりますと、当事者達による自覚の有無に関わらず、理想的な自己による判断の肯定の為に、比較対象を其の基準の外部へ置いてしまっている、という可能性の存在が予想され得ます。 (東洋社会の伝統的な発想によりますと、特定の団体の思考基準と他の団体の教義との比較を行なう為に、『本音』との比較を【慎む】べく、『建て前』が優先的に採用されやすいので、特に日本語では第三者宛ての命令文が存在し得たのですが、西洋近代社会的な発想によりますと、所属団体の価値判断の共有よりも個人の権利の主張が優先されやすい訳ですので、『本音』の対立の解消の為に、【近代的な法律】の確立が必要になったのでしょう。) (3)外部から自己への殺気を感じ取れる【無心状態】を会得した武道家達の思考は試合中のプロボクサー達と違いまして、回避された危機的状況の記憶が明確に残されていますので、それを参照させて貰える御蔭で、新しい武道形が纏められていきます。 従いまして、緊急事態からの危機回避の際には、経絡反射に身を任せています故に、自信を持って其の判断が行なわれてはいないのかが明確に分からなくなりましたので、此の質問を試みましたが、どう思われますでしょうか?
お礼
異教徒達の折伏の為に説得が行なわれる時にも、『他の団体の建て前的な教義の方が自分達の本音(現実逃避・救済)に近似している』という印象に曝され得るのかも知れませんが、そういう局面に信者達が追い詰められましても、若し対策を訓練されていませんでしたら、【火事場の馬鹿力】の様な突発的閃きが彼等に湧き起こってこないのです。 従いまして、(手遅れで私には絶対音感が無いのですが、)若し可能でしたら、『善悪を知る木の実』を食べる前の訓練で、我々は【絶対音感・映像記憶】の様な直感を磨いておくべきなのだろう、と考えられますので、他の質問との関係をも気にしながら、私は此の質問をも纏めておりますが、其処にもミッシングリンクが残っていますでしょうか? http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E9%9F%B3%E6%84%9F&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%98%A0%E5%83%8F%E8%A8%98%E6%86%B6&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt
補足
追加の協力を提供して下さいまして、 誠に有り難う御座います。 そもそも、太極拳の【震脚(踏み付け)】をも含めまして、前近代の東洋社会の伝統的な歩法では、逆の手足の動きを同時化させていませんね。 勿論ながら、其の伝統的な歩法の御蔭で、両腕の操作が移動中にも開放され得ますので、武術的な挙動(【適切な脱力】による殺気感知と、それに伴なう半自動的な情報処理)さえもが可能になるのですが、西洋近代スポーツ的な身体操作技法が普及しました途端に、『相抜けとか遠当てとか』の古流武術的な技術の殆どが淘汰されてしまいました。 http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%AE%8F%E4%B9%8B&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%A5%BF%E9%87%8E%E6%B5%81%E5%91%BC%E5%90%B8%E6%B3%95%20%E5%8B%95%E7%94%BB&rs=1&aq=0&oq=%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%82%85%E3%81%86&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1 http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%BB%92%E7%94%B0%E9%89%84%E5%B1%B1&aq=0&oq=%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%8A%E3%82%85%E3%81%86&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%82%A5%E7%94%B0%E6%98%A5%E5%85%85&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt つまり、現代では展開が逆になり、奇しくも、そういう歩法でさえもが訓練の賜物になり、たとえ緊急事態で護身術が必要になっていましても、若し適切な訓練が施されていませんでしたら、火事場の馬鹿力がそういう技術を閃かせてくれないのです。