こんにちは。0410ですが、ではとりあえず、
お答えしますね。難問なのでうまくいくかどうかわかりませんが(笑
そもそも現存在と即時存在の説明だけでもそうとうに長く
なりますので、本当の上っ面だけです。
存在論は「ある」とは何か? を扱った非常にややこしい哲学分野です。
なぜややこしいかというと、私たちは目の前にモノが「ある」ことは認識しますが、
「ある」とは何か? という根本的な問いは回避してしまうからです。
さて、「われ思う故にわれあり」で有名なデカルトは、
存在論を問題にしてはいますが、「われが、ある」ということは
自分がそこにいるということだけで、「ある」そのものを問題にはしていません。カントもまた
認識論から一歩も踏み出していません。
その後、フッサールの現象学によって、「そこにある」ことの認識の働きを止め、(エポケー)
判断中止することでより正確な事象をとらえる方向性が見えてきました。(現象学的還元)
ハイデッガーはこの現象学的還元を「ある」そのものについて行ったのです。
結果、有名な人間は有限な存在であり、死がかならずつきまとう、
という発想に至りました。死をしっかりと受け入れたとき、
人間の「ある」は時間性であることがわかります。
さらにまた、「ある」が時間性であったとしたら、人間は条件、状況の中に投げ込まれて
いることになります。これが「投企」です。
自分が「ある」ことを自覚するとき、その「ある」に歴史が、民族が
刻み込まれていることを発見する、というわけです。
こういった定点観測ではない生きた人間の存在そのもの、歴史とのかかわりなどを
延々と論述したのが
あの難解極まりない「存在と時間」なのです。
そして、現代存在論はハイデッガーの思想の延長線上にあります。
そこからの流れはとてもここで語りつくせるものではありません。
ひとつだけ。ガダマーはハイデッガーの存在論を受け継ぎ、
先入観を判断に先立つ意識・無意識的な前提、
すなわち「先行判断」としてとらえました。
これは新しい仕事です。
……ここでお答えできるのはこのくらいです。
お礼
ややこしいこと聞いてほんとすみません(>_<)すごく助かりました!参考URLも分かりやすくまとめてあったので大分助かりました(^O^)でもやっぱり難しいです(+_+)教えてもらった答えを参考に調べてみます!ありがとうございました(*^_^*)