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クォヴァディスとは?イエスの言葉の意味を解説
- イエスが弟子達に別れを告げている場面であると考えられます。
- Simon Peterが「クォヴァディス」と言ったのはイエスの幻に出会った時という説もありますが、正しい解釈は定かではありません。
- イエスはどこかへ行くと言われていますが、具体的な行き先は明確には語られていません。
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>1. この場面はイエスが弟子達にそれとなく別れを告げている場面でしょうか? イエスが最後の晩餐のときに述べた言葉がご指摘の部分ですので、「別れを告げている場面」ととらえてよろしいのではないかと思います。 >2. Simon Peter が“クォヴァディス”といったのは、どこかでイエスの幻に出会ったときであるという説明もありましたが、どちらが正しいでしょうか? クォヴァディスはWikipediaによれば「どこに行くのですか」という意味だそうですが、この場面では明らかに「どこかでイエスの幻とであった」ということではないと思います。この時点でイエスは地上に生きておりました。この場面はイエスと弟子たちが集まった食事の席でイエスに対して「主よどこにゆかれるのですか」とシモン・ペテロが聞いたということになると思います。回答者はペテロが同じ言葉を他の場所で語ったかどうかは不勉強で分かりません。 >3. イエスがどこかへ往くらしいですが、このあとイエスはどこへいったのでしょうか? イエスは次の章で弟子たちの住まいを天国に用意するために行くと述べていますので、イエスは父の元に行ったと理解出来るとおもいます。ヨハネの福音書のこの部分を何も知らないで、しかしイエスと言う男が自分の十字架の死を予測しながら長い間行動を共にした仲間と最後の話をしたと考えながら読みますと、イエスの決意と弟子たちのとうへんぼくな回答がかみ合っていない様子がよくわかります。イエスは漁師であったもの、無学で、意志薄弱な弱いものを選んで、その後を託したという現実に、驚きます。何故私のようなものが、もっともふさわしくないものが選ばれたのかその一端を見るような気がします。 >4. イエスの方から、誰かに“クォヴァディス”といったことはなかったでしょうか?(『つまり使命を放棄して、去っていこうとする人に』。 私の記憶違いかもしれませんが。) イエスがこのことばを述べたか否かは分かりません。古代ギリシャ語で書かれたと思いますが、ギリシャ語は全く分かりません。ただ聖書全体で神はイエスキリストを通して: 「あなたはどこに行こうとしているのですか。」と全篇を通して語っていると思います。私は道であり、真理であり、命である。だれも私を通して出なければ神のもとに行くことができないと述べています。人々がおもい思いの道に行こうとしているとき、イエスは「どこに行こうとしているのですか、私の道に来ませんか」と語りかけていると思います。
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- rmtdncgn
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2です。ごめんなさい、私の記憶にあるのは小説「クォ・バディス」の一場面です。 質問者様の4、の質問も小説からの記憶かもしれませんね。
お礼
rmtdncgnさん、再び本当に有り難う御座いました。感謝申し上げます。
1. この場面はイエスが弟子達にそれとなく別れを告げている場面でしょうか? そうだと思います。この場面は最後の晩餐なので、この後イエスは十字架にかかって天に昇ります。 2. Simon Peter が“クォヴァディス”といったのは、どこかでイエスの幻に出会ったときであるという説明もありましたが、どちらが正しいでしょうか? ペテロがイエスの幻を見ると言う場面は別の書物にあります。 ヨハネの福音書の場面とは別で、イエスが十字架にかけられた後の話です。 ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説2』使徒聖ペテロ(平凡社ライブラリー) ペテロはローマでの布教後、処刑されそうになったところを信者に助けられてローマを脱出しますが、その途中で 『ペテロは、キリストが歩んでこられるのを見て「主よ、どこにおいでになるのですか」(Domine,quo vadis?)とたずねた。主は「ローマに行ってもう一度十字架に上がるのです」と答えられた。ペテロは「主よ、あなたがもう一度十字架にかけられるとおっしゃるのですか」と訊きかえした。主は、「そうです。わたしがかけられるのです」とお答えになった。そこでペテロは「それでは、わたしも、帰ってあなたとごいっしょに十字架にかけられます」と言った。主は、ペテロのこの言葉を聞かれると、彼の見ている前で天に昇っていかれた』(上記書籍より抜粋) この後ペテロはローマに引き返し、逆さ十字架にかけられて殉教します。 また、以下の書物にも同様の記述があります。 『新約聖書外典』ペテロ行伝(講談社文芸文庫) このエピソードは質問者様が挙げているヨハネの福音書の箇所と対(つい)というか、対称的な側面があると思います。また、このエピソードは宗教曲や文学の題材になっています。 3. イエスがどこかへ往くらしいですが、このあとイエスはどこへいったのでしょうか? ヨハネの福音書の場合も、黄金伝説の場合も天に昇っていきます。 4. イエスの方から、誰かに“クォヴァディス”といったことはなかったでしょうか?(『つまり使命を放棄して、去っていこうとする人に』。 私の記憶違いかもしれませんが。) イエスから言う訳ではありませんが、2.に記載した内容のことではないでしょうか。
お礼
box742さん、有り難う御座います。 長く矛盾した話を自分の中で抱いて、明確な認識ができなかったのですが、始めて事が明らかになり、 とても嬉しく存じております。 有り難う御座いました。
- rmtdncgn
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私の記憶ではネロによるキリスト教徒の迫害が始まり ペテロはローマから逃げようとして旅していた、 その道中、イエスの幻が現れ、ペテロが 「主よ、いずこへ」と尋ねると、「お前が逃げるので 私はローマへ行くのだ」と答えたような気がします。 その後ペテロはローマに引き返し、捕らえられて 逆さ磔になったのではなかったでしょうか… もっと正確なお答えを楽しみに待ってます。
お礼
そうでしたか、そうすると後世の文学的なお話だったのですね。 始めて悶々としていたこのあたりの区別ができてとても嬉しいです。 有り難う御座います。
お礼
cincinnatiさんいつも美しい信仰の世界からのことばはとても私に勉強に為りますが、知識と論理を至上価値としている方にはなかなか通じないのが残念です。 これが最後の晩餐の場面だったのですね。 シモンのペテロは無学で、意志薄弱な弱い漁師だったのですか。何か非常に示唆的なことですね、私たちと全く同じような普通の人をえらんでいるなんて。 本当に有り難う御座います。 今後もどうかよろしくおねがいします。