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学問のことで…
ちょっと変な質問になってしまうかも知れませんが、どうにも気になってしまったので質問させていただきます。 人は何故学ぶのでしょうか? 思えば、大昔から人は学問に手を染め続けています。 「義務だから、当たり前だから、やらなければならないことだから」というような解答以外でお願いします。 人は、生きるために学ぶのでしょうか、それとも学ぶために生きているのでしょうか?
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<人は何故学ぶのでしょうか? それ程の理由が必要でしょうか? あなたが音楽を好きなら、なぜ音楽を聴くのですか? と、いう質問と似ています。 登山家に聞いてみましょう。 「なぜ山に登るんですか? 大変で、場合によっては命を落としかねません。」 彼らは答えます。 「そこに山があるからさ。山でしか得られない喜びがあるからさ。」 学者である私に聞いてください。 「なぜ勉強するんですか? 面倒くさくて、時間がかかって人生が無駄になるじゃないですか。」 私は答えます。 「そこに勉強があるからです。勉強でしか得られない喜びがあるからです。」 ……勉強は山登りに似ています。大変だけれども、沢山やると色々と分って面白いのです。勿論、もっと楽な『遊び』はいくらでもあります。しかし勉強でしか得られないものがあるのも事実です。本当は勉強は楽しいものです。ただ、現代は勉強によって差別があったり、順番がつけられたりしてしまいます。それで勉強嫌いが増えていると思います。と、いうよりも勉強嫌いの原因はそこでしょう。勉強で嫌な思いをしたら勉強が嫌いになるのは当たり前だのクラッカーです。しかし勉強自体は、そもそもは嫌なものではありません。勉強の始まりは『なぜ?』という問いです。なぜ生きているのだろう。なぜ雨は降るのだろう。それらを一生懸命考えたのが勉強の始まりです。ですので、勉強自体はとても楽しいものです。勉強をするごとに世界が見えてくるからです。分ってくるからです。ただ、現代では勉強が手段となって楽しむのではなく、目的となって苦しむものになっていると感じます。 学問とは芸術です。それも人間が編み出した最高の芸術です。私は学問とは人生の要素のひとつであり、逆に言えばそれでしかないとも思います。 例えばですが、あなたがピアノをプロ並みに弾けたら嬉しいですか? 嬉しいでしょう。学問も同じです。 もし、あなたが英語と中国語がペラペラだったら嬉しいですか? 嬉しいでしょう。 もし、あなたが全ての方面の学問をマスターしていたら(そもそもマスターはありえませんが、仮に)嬉しいですか? 嬉しいでしょう。 学問とは音楽や絵画と同じようなものだと私は考えています。そして、学問は道具です。 音楽を学んで人々に感動を与える。その時、音楽は道具です。 医学を学んで人々を救う。その時、学問も道具です。 でも、幸せってなんなのでしょう?
- 島崎 信也(@zakky74)
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zakky74でございます。 人間として生まれているからには、宿命がございます。 人間としての宿命ですね。 人間は、考える存在です。 世界とは何なのか? 人間とは何なのか? 生きる事は何なのか? に対する答を得なければなりません。 生きる事の意味や価値に直結する問です。この答を得ないままでは、ただ単に周りの真似をして生きる状態に留まるでしょう。人間として生まれてきた意味は何でしょうか?ただ、周りの真似をして生きるのが人間なのでしょうか?それとも、オリジナルを常に創出し続けて、他の人が創出し続けるその人のオリジナルにも沢山触れて、個性が溢れ出す社会や文明を創るのが人間なのでしょうか? 僕は後者だと思います。 人間は、真似をする為に生まれてきたのではありません。 それは、生命の時代にやりました。 生命から進化して、精神となっている人間は、生命であった時とは違う生き方をするべきだと思います。人間には、人間としての宿命があります。 答を得る事。 答を得て、人間を完成させる事。 光から物質に。 物質から植物に。 植物から動物に。 動物から人間に。 身分上昇が起きてきましたよね? その様に、人間は人間を完成させて次の状態へと身分上昇を起こす事です。 そんな生き方をする。 そんな人生を歩む。 その生き方・人生が、FinalAnswer(最終解答)です。 そして、FinalAnswer(最終解答)というだけあって、そのほかの全ての質問には、FinalAnswerから応える事が出来ます。つまり、現在学術が追求している全ての疑問や難題は、FinalAnswerをもって応える事が出来て、明確になっていきます。 全ての学問は、統合認識学問へと吸収されていくでしょう。 その統合認識学問が誕生していますし、FinalAnswerが生まれていると述べたんです。 >答えが出ないものかと思っていたのですが、出ていたのですか? >それが本当だとしたら、驚きです。 驚いてください(笑)。 そして、全てを整理整頓して下さい。 スッキリしますよ! >今はまだ、モヤモヤとしている感じですが、いつかスッキリさせたいものですね… 答が出ていない時の反応ですよね、これは^^; もう答は出ています。TeraKさんが、答にアクセスするか、しないかの問題です。到達したくても出来ない中での追求ではなく、到達出来る事が明確に分かっている上での追求に成り代わっているのが今の時代、この日本です。 何と、嬉しい時代なんでしょうか?
- ousamatokojiki
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No10の返信 >学ぶこと自体に幸せを感じたり >または、学ぶことによって自らを幸せに導いたりもできますよね。 > >でも、幸せってなんなのでしょう? 幸せとは感情的なモノですので主観的なモノです。人それぞれ違いますし、幸せの種類も多数あります。 志しや目的を持つ人であれば、苦しみも幸せの一部となりえます。 ここからはおせっかい心による私の主観です。参考にならないかもしれません。 質問者が若い方のように見受けられるので、少し踏み込んでお伝えしますと、学問にも実践的な実学と哲学や歴史のような実践的でないとも考えられる虚学という分野があります。 実学が役に立つのは周知の事実でしょう。実学を学ぶことで仕事ができます、仕事ができるという事は他者に認められ、必要とされたり生活の糧を得られます。 虚学は、学者以外の方にとっては教養という側面が強いかもしれません。教養の定義は広く、人それぞれで捕らえ方も変わってくるかもしれませんが、社会を知り、社会と上手く付き合うための知識が教養の意義だと思います。 社会とは人類-国家-地域、会社、家族、知人、など複数のコミュニティによって成り立っています。 自分にとって良いコミュニティも悪いコミュニティもあるでしょう、そのようなコミュニティとどのように付き合えるか、または遠ざけられるか、実践するための手段と成り得る知識が教養です。 最後に、学ばないという幸せもあります。それが後々の自分の幸せに繋がるかを考えられるのが教養があるということだと思います。
- 島崎 信也(@zakky74)
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答を得る為です。 答とは、FinalAnswer(最終解答)の事で、どう生きれば良いのか?という問に対する答をもって打ち出されます。 しかし、今までこの答を得る事が出来ていなかった学術に限界がありました。学術では答を得る事が出来ません。即ち、学術では、どう生きれば良いのか?のFinalAnswer(最終解答)を出せていませんね。 ですから、TeraKさんが抱えている様な質問が出てきます。 そして、とても本質的であり、素晴らしい質問です。 あともう少しですよ。 今までは、学術によって答を得る事は出来ませんでした。 学術は、知の第二の爆発によって得られました。 数学・物理学・経済学など、ですね。 知の第一の爆発は、お釈迦さま・老子・孫子・ソクラテス・プラトン・イエスキリストなどの聖人たちが多く輩出された時期ですね。しかし、この知の第一の爆発によっても、最終解答は得られていません。 宜しいでしょうか? 知の第一の爆発でも、 知の第二の爆発でも、 最終解答FinalAnswerを得る事が出来なかったが故に、今のTeraKさんや、或いはTeraKさんの周りの状況です(教育・経済・政治・文化芸術・文明歴史)。 ですが、今の時代、この日本では、知の第三の爆発が既に起きています。 そして、この知の第三の爆発によってFinalAnswerが出されています。 あとは、広がるだけですので、遅かれ早かれTeraKさんは今抱えている質問に対してもスッキリされる事かと思います。 >ちょっと変な質問になってしまうかも知れませんが、 そうではありません。 とても本質的な質問であり、人類を代表する勢いを持つ美しくて素晴らしい質問でございますよ。出ています。FinalAnswerは。学問も、統合認識学問によって全て統合的に整理整頓されています。 後は、出会うかどうかの問題だけです。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
楽するために学ぶな。 学んでないと、失敗して、痛い目にあう。 失敗の程度はいろいろで、液状化現象や地理を学んでない人が、危ない土地に家を建てて、人生の後半で大失敗している。 まあ、この程度の失敗は、不幸だが致命的ではない。 しかし、致命的なものとして、無知な儘に牛の生肉を食って、腸管出血性大腸菌に感染して一命を落とす人もいる。 その方々には申し訳ないが、食物を学ばない人は生存の可能性が減って、その学ばない遺伝子を継承していく子孫は早期に絶滅することになる。 一方、学ぶ人は一命を取り留めて、子孫を残す可能性が高いので、数万年のうちには学ぶ遺伝子を持った個体でうめつされるようになるんだ。 つまり、われわれがこの世に生をうけたっちゅうことは、学ぶ遺伝子を受け継いでおることになる。 だから、この遺伝子の命ずるままにいろいろと学んで、たとえば、毒キノコの見分け方を学んで腹痛の苦しみを避け、楽して日々を過ごすことができるんじゃ。 核分裂反応の制御や放射性物質の隔離方法などを学んだ人々は、楽して電力を得て、電気自動車で楽して走り回ることができる。学ぶことを放棄した人達は、化石燃料の奪い合いで苦労し、排気ガスの有害物質で苦労し、移動するにも自転車をこがなくてはならないので、二重、三重に苦労するってことだね。
お礼
やはり、苦難を回避する、乗り切るための学びなのでしょうか。 学ぶ遺伝子ですか、全ての生き物に入っているのでしょうか。人のが少し優れているだけで… 考えようによっては、自転車も、1つの賢い選択になると思います。 自分で漕ぎますから、燃料入れて走らせる必要もありません。 でも、やはり距離的な問題が浮上しますか… ともかく、参考になりました。ありがとうございました。
- ousamatokojiki
- ベストアンサー率0% (0/0)
幸せになれるから。
お礼
学ぶこと自体に幸せを感じたり または、学ぶことによって自らを幸せに導いたりもできますよね。 でも、幸せってなんなのでしょう?
- JidousyaGaisya
- ベストアンサー率23% (45/189)
学びを拒みたがる方々にも興味を抱いて貰える程に有効な指導方法を模索すれば、若しかしますと、重要な盲点もが見付かるかも知れません。 従いまして、指導者側の課題にも属しているのでしょう。
お礼
学ぶ分野によって、興味を抱く人も違いますし、皆が共通して学ばなければならないこともありますよね。 だとすると、際限なしに難しい課題になってくるのではないでしょうか。 ご解答、ありがとうございました。
- cyototu
- ベストアンサー率28% (393/1368)
何かで失敗しないために学んでいるのではないですか。別な言い方をすると、自分の存在、自分の仲間の存在、自分の種の存在、それぞれを最大限にするために学んでいる。それを学べない者は滅んで行きます。だから、学習は人間特有な物ではありませんね。 蛇足ですが、学ぶことと知識を手に入れることは同じではありませんね。学ぶためには、表向き一見違って見える物の中に共通点がある事を認識できるようにならなくては成らない。この事が出来る能力の事を抽象化能力と言います。抽象化能力のない者は幾ら知識を詰め込んでも学ぶことは出来ません。 そして、この抽象化能力は決して人間だけにある物ではなく、普通の動物にもあります。例えば、大分昔に私が子犬を飼ったときに、その子犬が裏庭の目の前の池に何の躊躇もなくそのまま歩いて行き、池に落ちてびっくりしていた場面を見たことがあります。その後、その子犬は池の前で止れるようになりました。それどころか、裏庭の池ばかりでなく、川の前でも止れました。池と川は違うのに、ちゃんと水と言う共通項を抽象化できて、学習したのですね。 もう一つの例は、大分前に読んだ本で、防衛大学の先生数人が日本海軍の太平洋戦争での敗戦の理由を分析していた本に書いてありました。第一次世界大戦以降の平和惚けの結果、海軍指導者人事の出世の順序が、その人の年齢に応じた能力に無関係に、海軍兵学校の卒業時の成績順で決まってしまうようになっていた人事の硬直化などを挙げておりました。幾つそのような理由を挙げた中で、海軍官僚達の抽象化能力の欠如を大きな理由の一つに挙げておりました。 昔の海軍の教科書には、戦艦を沈めるには巨砲を積んだ戦艦以外には有り得ないと書いてありました。飛行機から小さな爆弾をバラバラ落したって、絶対に戦艦は沈まないことになっていた。だから、海軍兵学校で巨艦巨砲主義を徹底的に覚え込まされた。成績が良い人ほど、そう言うことを良く覚えていた。 ところが、真珠湾攻撃の時と、その同日にインド洋での英国の主力戦艦プリンス・オブ・ウエールズを日本海軍が沈めた時に、日本人が人類ではじめて急降下爆撃という手法を編み出して、飛行機で巨艦を沈めてしまった。このときに、飛行機の時代がやって来たことを日本人が初めて世界に知らしめたのでしたね。 アメリカは飛行機で連戦次々と巨艦を沈められて行った負け戦でした。だから、失敗ばかりしていたので、今や飛行機の時代が来たのだといち早く学習することが出来た。そこで、アメリカ海軍は巨艦巨砲主義からいち早く脱却して、飛行機の生産に予算をシフト出来た。 ところが、日本海軍の中央官達は、勝ち戦ばかりなので自体を抽象化出来ず一向に学習が出来なかった。だから、戦時の予算編成をするときになると、現場から遠いとこで予算を組んでいる成績優秀な海軍官僚達は昔の教科書を引っぱりだ出して、相変わらず予算を巨艦巨砲に費やしてしまい、飛行機の予算を余り増やさなかった。戦艦大和や武蔵がその象徴でした。 海軍官僚達は戦闘現場の人達よりも遥かに知識は豊富なのですが、彼等は学習が出来ていなかった。それは当たり前で、失敗したことがないからどんどん出世出来て官僚として生き残れたのですからね。だから、海軍官僚達には抽象化の訓練をする機会が余りなくて、その結果、何も学んで来なかった。 何か、今回の福島原発での東京にいる中央官僚と原発現場で働いている所長さんの関係を見ているみたいですね。そう言えば、中央の連中が今その所長さんの処分を検討しているとニュースに出ていました。 こと程左様に、人間は失敗をしない限り、学ぶことが出来ない。それどころか、抽象化能力のない連中には失敗を経験したことのない知識は命取りに成りかねません。だから、知識を手に入れることと学ぶことは全く次元が違うことです。 この例が示唆しているように、学ぶためには、少なくとも二つのことが決定的に重要になっているようです。それは、抽象化能力があること。それと、失敗すること。確かに、昔から「人間は失敗したときにのみ何かを学ぶ」と言われていますね。それに比べたら、どのぐらいの暗記力があるかなんて、どうでも良いことです。 だから同じ失敗を繰り返さないようになるために、学んでいるのですね。
お礼
学ぶ=知識を取り入れることではないということには、感づいておりました。 そんなに簡単なことでしたら、世の中の人間皆が知識を頭に入れる、それは正しい学び方をしている、ということになってしまいますから… 失敗を繰り返さないように、ですか。一理ありますね… 失敗は成功の母、という言葉をよく聞きます。ただ、成功したら学びが止まってしまうのでしょうか。 成功でも失敗でも、学びには、終着点ってないように感じます…
>人は、生きるために学ぶのでしょうか、それとも学ぶために生きているのでしょうか どちらでもありませんね。 生きること、すなはち学ぶことなのです。 ひとの本能、宿命、原罪といっていいと思います。 >義務だから、当たり前だから、やらなければならないことだから」というような解答 じゃねえか!?と仰いますか? 違います。 哲学的に、ということでなく、科学的に説明して欲しいといわれるなら、以下のようにいえると思います。 発生論的に言えば、学ぶとは好奇心からきていますが、好奇心は元来生きるために冒すリスキーな行為だったと考えられます。 人間の場合、それが逆転し、快楽のひとつとなって一体化したのです。性欲が生きる目的に転化したようなものですが、これは結果的に人間を次元の高いいきものへ移行させたものです。はっきりいって私たちにも分からない、神がかり的な事件としかいえないのですが。 人間、学ぶことがなければ生きているとは言えません。 つまりそれは 植物人間のようなものです。 もちろん、植物人間に生きる価値がないといっているわけではありません。 それはそれで尊いのですが、ちょっとスペシャルケースです。 学ぶ人間、まなぶことで前進する人間は人間本来の(あるべき)すがただということです。 普通、人間はつねに周囲に耳目をそばだてて生きようと努力を続けています。 周囲に満ちているあらゆる情報を取り込んで生きる糧にしています。 ひととは 情報を喰って生きる生物なのです。 かつて あのヘレンケラーですら人間界などから情報を努力して取り込み、そして偉大な人間の一人になりました。 われわれ5体満足な人間がそうなれないはずはありません。
お礼
やはり、人間にとって、情報というものは大事なのですね。 学ぶことが、人間のあるべき姿、ですか。 五感が閉ざされたとしても、情報を得て、学び続ける。それが生きてることになるのでしょうね…
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お礼
答えが出ないものかと思っていたのですが、出ていたのですか? それが本当だとしたら、驚きです。 今はまだ、モヤモヤとしている感じですが、いつかスッキリさせたいものですね…