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学問をするのにふさわしい人がやっていたのは
教育問題かもしれませんが、歴史のほうにかかる範囲が広いと思ったので質問します。 日本史上(あえて世界史上でもかまいませんが)、一番「学問すべき人が学問していた」時代はいつなのでしょうか。 古代からみてきますと、おそらく江戸時代までは、庶民に対して学問の風はかからなかったでしょう。 江戸時代の生産安定性の時代に入ってようやく、寺子屋などの庶民的学問機関ができた。しかし、士農工商で武士がやるような思想とか洋学などは円がなかったでしょう。しかし、武士が学問する慣わしといいますが、ふさわしい人が多かったか?中にはまったく向かないのに学問の強制を強いられた人もいた。農民商人に、遠大な思想史や科学洋学などをやるにふさわしい人物が多く埋もれていたかもしれない。 明治からは、身分廃止とともに、金さえあれば?やりたい学問ができるようになった。農民が大臣になることもできた。この時代が一番公正だった気がします。 戦後から現代まで、だんだん学問は衰退し、庶民的?になり、ふさわしくない人が点数を効率よく取るための教育が隆盛している。そんなところでしょうか? 一体いつが一番「ふさわしい人」が勉強していたんでしょうか。
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補足
「ふさわしい」というのは、私なりの解釈で、いわば「点取り虫でない姿勢」とでもいいましょうか。例えば「~的中問題」とかいうものは俗悪で、むしろそれ以外の「不的中問題」のほうに興味を示すとか、純粋な好奇心が旺盛ということです。向学心、好奇心それらが、目的論的でなく、無目的であっても、惹かれる素質があるかですね。これには、IQなどというものは、直接的創刊はないと思います。