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学問における自殺の考え方
- 学問において自殺の是非について言及しているかは、基本的にはしていないと考えられます。
- 現代日本の一般常識や精神医学では、自殺は悪いと考えられていますが、精神医学以外の学問ではどう考えられているかは不明です。
- 文学や哲学においては、自殺に対する考え方が多様であり、必ずしも自殺=悪いとは言えません。
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法律には自殺についての言及はされていません。良いか悪いかという判断は当人に任されていると考えていいと思います。当人が「自分は死ななければならない」と考えたら、死んでよし、という自由が許されているということでしょう。もちろん残された家族縁戚はおおむねひどい迷惑を被るわけですが、当人がそれでよければ今の自由社会は死者である自殺人を罰することはないのです。西洋(キリスト教9ははっきり自殺を罪と断じて居ます。普通に葬式を出すこともできません(しかし自殺者は出ていますが)。東洋の哲学はこれに関しては鷹揚です。日本では、特に侍社会でははらきり、殉死など、むしろこれを美化する文化がありましたから、自殺は(その理由があきらかであるならば)社会的に悪いものとは考えられていないとおもわれます。 にもかかわらず迷惑だという考えが現代にあるのは、やはり自殺そのものが普通ではないからでしょう。基本的に人間は生物であり、自死することはありえないので、原因が分かりにくい(切実なものではないと考えられる)多くの場合それは精神的な病いの発作だとされ、何らかの不明な因子(超真理的なものも含めて)の作用として恐れられる、まあタブー的なものがあるということではないでしょうか。その大きな部分は自殺者が人間の生を否定したということ、われわれに対する叛乱という意味から生じるものだと考えられます。
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- SPROCKETER
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本能で生きている動物は自殺しませんよね。人間だけが自殺するわけですから、知能の発達が自殺に結び付いているのは間違いないだろうと思います。 動物は苦しんでも死のうとは考えませんが、人間は苦しむよりも死ぬ方が楽だと考える動物であるようです。なぜ、死ぬ方が楽なのかはわかっていませんが、死を知っているような錯覚を起こすのは人間だけのようです。 人間であれ、動物であれ、自分の死を知る方法はありません。死んだ自分を想像する事は出来ても、死を体験するのは不可能です。自分の死がどういうものかを知っている人はいません。仮想現実で作り上げられた死の世界を信じ込んでいるから、死を選ぶのではないでしょうか。 死が理解出来ない人間に比べて、パソコンは電源を切られた状態が死ですから、死んだり、生き返ったりを繰り返している機械です。パソコンにとっての死は、電流が流れていない状態であって、電流が流れれば生き返る立場にあります。 それに対して、人間の死は血液の循環が止まれば、細胞が壊死を始め、血液の再循環が始まっても生き返る事はありません。機械とは違って、再起動出来ないのが人間の死です。 ゲームやアニメにのめり込んでいる人達は、機械的な死を信じ込んでいて、死とは何かがわかっていないようです。人間の死は壊れたパソコンとは大きく異なります。 人間の死を要約して考えるならば、60兆個の細胞が自己組織化された一つの世界が終わりを迎えるのが人間の死です。一つの惑星上に生まれた文明が滅びるのと同じに考えて良いと思います。 人間の脳が死んで、意識や記憶されている情報が失われるのは、惑星上に構築された文明の遺跡、遺産、歴史の全てが無に帰るのと同じです。地球が滅びるのと同じぐらい、死によって失われるものは大きいのです。 パソコンに蓄積された情報はバックアップが残してあれば、世代交代を重ねながら情報を保存し、継承して行くのが可能ですが、人間の記憶はパソコンのような事が出来ないのです。死ねば、脳の記憶は全て失われ、復元する方法はありません。 私たちが少しでも情報を残そうとして、パソコンに情報を蓄積し、バックアップを保存しているのは、死ねば失われる情報を少しでも残して置きたいからですし、インターネットに書き込んでいるのも、自己の存在を残して置きたいからです。 人間の記憶や人間そのものをコンピュータに保存して残せる時代になったら、死に関する価値観が大きく変わると思います。人生に挫折したら、今までの情報を全てコンピュータに保存して死を選ぶ人が珍しくなくなるでしょう。 少なくとも、現在は、そんな便利な時代ではありません。死ねば、脳の中の情報は何も残せない状況が今後も続くのは間違いないでしょう。情報量が膨大だからです。 コンピュータ技術の進歩で、人生の多くの情報をパソコンに保存して残せる時代にはなりましたが、生まれた時から死ぬまでの写真やビデオを大量に残すのが可能になったと言っても、数TBぐらいの情報量です。 写真で数百万枚、DVDビデオで数千時間でしかありません。それで人生の全てを保存したとは言えないでしょう。人間が生まれてから死ぬまで、一日に2時間、テレビを見続けるとしたら、90年間で65700時間も見ている計算になります。パソコンに保存出来るのは、この中のほんの一部に過ぎません。 意識していない時間も脳は情報処理を続けています。夢の記憶も脳の情報処理の一部です。その全てを保存する技術が発明されない限り、脳の記憶を全て保存したとは言えません。 パソコンに大量の情報を残して死んだとしても、その人に関して全てがわかるわけではありません。脳に記憶された情報は死ぬ時に全て失われてしまい、永遠にわからないままになるのです。
お礼
ありがとうございます。 そういう時代が来たらいいと思いますが そういう時代が来たら人間の価値観って変わるのでしょうかね。
- dsdna
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>大学以降の各学問は自殺をどう考えますか。 どうも考えていない。 そもそも、学問で扱うものではない。
お礼
ありがとうございます。 理系の数学などの学問は確かにそうでしょうけど、 文系の人間に関する学問はどうでしょうね。
お礼
ありがとうございます。 法律的には自殺の善悪は書かれていないっぽいですね。 意外と西洋よりも東洋の方が自殺に対して鷹揚なのかもしれないですね。