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「王政復古の大号令」についての愚問です。
ナポレオン1世が即位した地位が王様でなく、皇帝と訳されている事情から類推しますと、帝(みかど)と王様とは違っている筈なのに、「大政奉還」の直ぐ後に、どうして「帝政復古の大号令」ではなく、「【王政復古】の大号令(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%94%BF%E5%BE%A9%E5%8F%A4_(%E6%97%A5%E6%9C%AC))」が発布されたのでしょうか? 単純に峻別に対する自覚が乏しかったからなのでしょうか?
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平田国学や水戸学においては「尊皇」ではにく、「尊王」という言葉が使われています。 また、「尊王攘夷」という言葉も水戸の徳川斉昭が最初に使ったのではないかとされています。 ここでは、「尊皇」ではなく、明確に「尊王}を使っていますから、帝政と王政の区別が付いていない状態(国内に王と帝が並立した時代はありませんから)だったのではないかと思われます。 また、皇室の子は親王や内親王ですから、王という呼称を使うことに抵抗はなかったのかと 帝と王が並立していたのは神聖ローマ皇帝による王の認証や、中国の衛星国家くらいじゃないでしょうか。
補足
有り難う御座います。 良く分かりました。