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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ことばの武士道)
言葉の武士道
このQ&Aのポイント
- 言葉は武器であり、私たちは言葉を武器として持ち歩くが、その際には言葉の武士道が必要だろうか。
- 言葉の刃物としての鋭さや効果は何に依存しており、自分の言葉はどれくらい切れ味の良いものか考えるべきだろうか。
- 優しい言葉や慰めの言葉は、何か悪しきものを断ち切り、心に響くものなのか。また、それは言葉が常に武器ではないことの証拠となるのか。
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noname#144995
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noname#144995
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お礼
戯言につきあってくださり、感謝いたします。他の回答者から、言葉は鋭利だとしても、包丁のような道具で、料理に使うようなイメージじゃないかという比喩が提案されました。これはpsytexさんのお考えとも矛盾しないでしょう。刃物である言葉は、対話の相手を傷つけているのではなく、議題に上がっているテーマに細工をしているに過ぎないということですから。見事な細工の施された品を見て衝撃を受けるのは、確かに自分の力量を恥じいった未熟者に違いありません。子供は放っておくに限ります。 しかし言葉とは、地獄に垂らされた救命のロープと喩えてみせるあたりが、さすがにpsytexさんです。この比喩にOKWaveに参加してらっしゃるpsytexさんのお気持ちをみたような気持ちです。「おまえごときが」といって、足で下を蹴り落とすということをせず、鷹揚に糸を垂らす。しかしその糸は登るのが難しく、当人の意志と努力が無ければならない。あるいは素養が無ければならない。しかし、この糸を登れば、救いの地まで導けるという確固たるお気持ちがあるということに、恐れ入りました。 ロープが切れて落ちる先をpsytexさんは謙虚に、何も考えないでよい他律の極楽とおっしゃるが、やはりそれは地獄というべきでしょう。眠りを覚まされたことを恨むのは思春期の青年くらいです。考えに考えるしかなく、思考を徹底的に追求するしかないと思えます。その道を示す糸は、なるほど強固なモノでなければならず、直ぐに断ち切れてはならないでしょう。とはいえ、僕の糸は随分と気楽なものです。「束の間、まぁ楽しくやろうじゃないの」というのですから。この設問は、地獄で頭を休めるための遊具の一つなのです。敢えて縄という比喩にのるのなら、あやとりのようなものです。投稿者の回答に応じて、形が変わるのですから。
補足
【締めるにあたって】 皆さま、どうもありがとうございました。武士道についてですが、「電光石火の如し」と武蔵に喩えてくださる回答がありました。これは、言葉のある一面を鋭くとらえています。言葉はその力を制御しないと、本当に、電光石火のごとく、隙を見て相手を叩き斬ってしまいます。 なるほど、これもこれで、一つの生き方として人を魅了するに足るほど、爽快なのですし、弱肉強食は現実の一面なのです。とある高名な教授が、バッタバッタと論敵を斬りまくっていく姿は、ショーとしては見ものでした。「明快でないものは存在しないも同じことだ!隙あり!トゥ!」と刀を振るうのはさながら時代劇。しかしこれでいいのだろうかという疑問はあったのです。それではコミュニケーションにならんではないだろうか、と。 というのも、高みに達した人にしてみたら、その下の人と会話する必要など本来はないのです。からかうとか、「おまえなど話すに値しない」と蹴落とすばかりでしょう。上記の教授は、斬り捨て御免とやってみせていますが、要は相手を蹴落としているのです。僕も実生活では、そんなところがあるのです。「ん?おまえの言っていることは、~~という点で不備があるぞ。そんなの議論に値しない。出直してこい」と(丁寧な言葉で)言ったりします。 しかし、傷つけるのなら蹴落とすのではなく、黙って無視していた方が、親切というものです。そして会話する以上は、僕とて楽しくやりたいので、斬り捨てるのはストレスになってきます。そして誰にでも、目上の方もいるのです。僕はもちろんのこと、その電光石火の刀を振るった教授の上にも、更なる遣い手がいるのです。上の相手に勝とうと思えば、必殺の居合抜きとばかりに、虚を突いて、出来ないことはありません。しかし、ただの殺戮なら、敵を作るばかりで、いっそ会話しない方が処世術として優れているのです。 僕の糸を丁寧に察してくださったのだと思いますが、柳生の活人剣の例を出してくださった方がいました。まさに、言葉が刀であるのなら、それが理想です。しかし慢心に陥ったりすると、電光石火をやってしまいます。 もともとこの設問は、極端な喩えをしていたのです。ルール(武士道)があって振るう刀というものを僕は想定したのですが、ルールということを重くみれば、喩えは実は刀ではなくてよいかもしれないなとは思っていました。むしろ包丁であるというたとえが出たのは、僕の設問を尊重してくださったからでしょう。他には、次のものです。 ・ピストル、ロープ ・救命の縄 ・料理道具の包丁 ・夢 こうした言葉へのイメージは、普段、その方がどこで言葉を磨いてらっしゃるかによりけりだと思います。そのどれも、その方の言葉の使い方の含蓄があって、優劣をつけることのできるものではないと思います。しかし自分の言葉の使い方を、惜しげも無く率直に伝えてくださったという意味で感動したので、psytexさんの回答を選びました。 なるほど、psytexさんの投稿は、他の方の設問欄でも拝読したのですが、難解で、揶揄されることもあるようです。しかし地獄へ垂らす蜘蛛の糸のごとく、強靭な綱でありたいとは、恐れ入りました。これは人間にできることを超えようとしているともいえ、その是非を問う意見もあるかもしれません。所詮人間が垂らすことのできる糸は、蜘蛛の糸より弱い程度のものなのではないか、とも。この点はまた設問を改めて議論することがあるかもしれませんが、しかし、実践から語ってくださったという意味で、僕には一番説得力をもっているように思われたのです。 最後に自分のことを書きますが、僕としては、言葉を紡いでできるものは布だというイメージがありました。文章のまとまりを意味するtexteという西洋語の語源は、布なのだそうです。おとぎ話の冒頭、よく糸巻き車が出てきますね。運命の神が紡ぐことで、物語が出来上がっていくというイメージです。テクストの語源は、この場合、ただの連想ゲームの小道具に過ぎませんが、僕は次のように空想しているのです。 言葉という布を身体にぴたりと合った形でまとえば、自らのシルエットを際立たせることができ、自己表現ができます(鋭い言葉)。あるいは、だぼだぼに覆って、自らの姿を欺くこともできます(嘘の言葉、あるいは鈍い言葉)。 ガーゼのように優しい肌触りの布を傷口に当てれば、出血を止めるでしょう(慰めの言葉)。また分厚く作った布をねじって、綱にすれば、救命にも使える(導く言葉)。絹のようにはかなく作った布を身にまとっておけば、誘惑もできるでしょう(セクシーな口説き文句)。あるいはこの布が適度な厚みなら、お互いのプライベート空間を作るためのカーテンにもなるでしょう(線引きする言葉)。 逆に、重たい布を相手に覆いかぶせて、窮屈な気持ちにすることもできます(決めつける言葉)。更には、布を使ってグイグイと首を締めあげることもできます(批判する言葉)。足元にピンと縄状にした布を張って待ち伏せして、罠を作ることもできる(意地悪な言葉)。 他の使い方もあります。布をはためかせれば闘牛のようなことができ(挑発の言葉)、掲げれば標識になる(宣言やマニフェスト)。弾幕のような布をバシッと落とせば、話を切り上げられる……などなど。 連想はいくらでも膨らみますが、これ以上はポンジュを真似したような下手な詩になりますし、僕の言わんとすることの要領は伝わったと思いますから、そろそろやめにします。しかしこうやって比喩を列挙して行くと、何か言葉の可能性が広がっていく気がして楽しくならないでしょうか。