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武士言葉っていつから?
映画やテレビに登場する武士って、たとえば 「拙者は○○でござる」 という風に独特の話し方をしますよね。 過去の質問を検索してみたのですが、当時、本当にこんな話し方をしていたのかどうかは、録音機器がないため、よく分からないらしいんですね。 とすれば一体いつごろから、武士はこんな話し方をしていたに違いないと、されるようになったのでしょうか? つまり時代劇に登場する武士の言い回しがこんな形になったのはいつ頃からでしょうか? 何かそれらしい資料なり裏づけがあっての事でしょうか? もうひとつ、ヤクザの三下なんかも 「たしかに、アッシにちげえねえ」 とか言いますよね。 決して武士がこんな話し方をする事はないと思うのですが、おそらくこれも録音機器が無かったため、本当に当時のヤクザがこんな話し方をしていたのか分からないと思うのですが、それでは一体いつ頃から時代劇映画に出てくるヤクザがこんなセリフの言い回しをするようになったのでしょうか?
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少なくとも幕末には話されていたようです。ですから、明治期の時代演劇で、記憶を頼りに使われていたものが、映画・テレビと受け継がれてきたようです。やくざ言葉についてもそれは同様のようです。 やくざ言葉は下層民の江戸弁が原型になっていますが、江戸弁については化政文化期の庶民文学が残っていますから、かなり史料は豊富なんではないでしょうか。 侍言葉の成立時期ですが、自分でそういう文献を読んだわけではないので不確かなのですが、江戸時代半ばごろに江戸城内で使う正式の言葉として成立したものようです。いちばん最初の頃は、中枢はみな三河武士ですから、幕閣では三河弁を使っていたと聞いたことがあります。 それ以前の時期でも、武士が主人公のドラマは全部侍言葉ですが、あれはうそです。源平合戦なら「平家物語」のような言葉を、戦国時代なら「御伽草子」のような言葉を使っていたと見るべきでしょう。それも都の言葉ですから、織田信長のような地方出身者の話ならその地方の方言を使っていた、あるいは少なくともそのなまりはあったでしょう。 後白河法皇と平清盛が、幕末の言葉で、しかも京都の御所言葉と、関東の侍言葉で会話する、というシーンには笑ってしまいます。後白河と清盛が違う言葉のわけがないのに、って思うと。
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- sekiryou
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司馬遼太郎の菜の花の沖で、江戸時代の共通語として侍は狂言言葉で、町人は浄瑠璃言葉で意思の疎通を図っていた。と書かれていたような気がします。 実際、私が子どものころの年寄りたちの丁寧語はそのとおりでした(私の地方には丁寧語がないため江戸期はじめから使われていたのでは)
お礼
参考になるご意見、有難うございました。
- phantom1
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あれは文章語が元になっているのではないでしょうか。 司馬遼太郎氏の「翔ぶがごとく」には、太政官政府内で諸藩出身の高官達が直接交渉する際、互いに訛りがひどく会話が成立し難かったので、文語をそのまま発音して会話を成立させていた、といった内容の一文があります。 明治以前の交渉事は、直接会話より書状のやり取りがメインと考えれば納得のいく話です。 そもそも江戸時代以前の日本人の多くは、他郷の(方言の違う)人と会話する事など、滅多に無かったのではないかと思います。
お礼
有難うございました。 > 江戸時代以前の日本人の多くは、他郷人と会話する事など、滅多に無かった ・・ なるほど、もしかすると一般人が隣の地域の人と話する時には通訳がいる時代だったかも知れませんね。
- at9_am
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武士言葉は確実にいつ頃から、といわれれば困りますが、おそらく江戸初期ではないかと思います。 江戸時代にはテレビもラジオもありませんし、標準語も明治以後ですから、当然方言がすごいわけです。しかし江戸時代、武士は参勤交代で日本中行き来していました。したがって何らかの共通語がなければ、藩毎の外交に支障が出ます。武士言葉はこのような過程において成立したのではないでしょうか。 もしステレオタイプの成立ということであれば、講談・浪曲にその起源が求められると思います。映画であれば弁士ですね。
お礼
有難うございました。 現在、映画などで使われている武士言葉と言われているのは講談・浪曲からスタートしたんですか ・・・ 納得しました。
お礼
なるほど、明治期の時代演劇で使われた話し方が基本になっていて、それが今の時代劇にも残っているというわけですね。 その他、面白いお話、有難うございました。