『ありがとう』は美しいと思います。日本語は響きが優しく、美しい言葉ばかりです。個人的には片仮名がを除けば美しい言葉ばかりだと考えます。
『優しい』『温かい』『美しい』『こんにちは』『さようなら』『頂きます』『ごちそうさま』
今まで気付かないだけで、日本語というのは美しい言葉のオンパレードでした。今頃気付きました。私まで勉強になりました。早速ありがとうございました。
日本語というのは何もかも『曖昧』にして誤魔化すといわれます。日本人は昔、謎の微笑を持つ民族といわれました。このあたりは集英社国語辞典の付録に書いてあります。私が説明するよりも集英社国語辞典を立ち読みして日本語の性格についてのコラムを読めば一目瞭然かと思います。大きな書店に行けば集英社国語辞典は在庫があるはずです。日本語とは何ぞや? そう思ったら集英社国語辞典のコラムが手っ取り早くてわかりやすいです。それ以上分かりやすいものは今の時点では私は知りません。下の文章を読めば集英社国語辞典を読む必要も無いとは思いますが……。
私自身は日本語は世界で一番優れた言語だと思っています。どこの国民も自分の言語が一番優れていると思うでしょうが、私は日本語は一番と胸を晴れます。英語はローマ字だけです。アラビア語もアラビア文字だけです。他のヨーロッパ系の言語も大体は文字の数は少ないです。大体40未満です。ハングルもハングルだけです。中国語は漢字だけです。日本語は平仮名、カタカナ、漢字の3種類もの文字を使いこなします。器用です。中国語の漢字は一種類しか読み方がありません。ピンインというもので国が読み方を一種類に限定しています。漢字の種類は多いですが……。しかし日本の漢字は何種類もの読み方があります。普通の言語の3倍の表現方法を持つ日本語。その時点で日本語は『多様性』でNO.1です。
先程日本語は『曖昧』で『多様』と書きました。しかし自然も同様に『曖昧』で『多様』です。この世に起こることはみな多面性があります。ビンラディンが殺された、という事件だけでもアメリカ側の主張、ビンラディン側の主張という2パターンあります。この世では何か1つに断定できる事柄などありません。そういう面でも『曖昧』な日本語はこの世に最も適合した言語です。白黒つく事件はありません。だからこそ曖昧な日本語が素晴らしいと思います。曖昧な自然には曖昧な日本語が一番よいのです。同様に自然という多様な物事に対しては多様性に優れる日本語が最善です。英文学は原著で読むと大して素晴らしくなく、日本の小説が懐かしくなります。大体の小説は繊細な心理描写を描くものです。恋愛など、イエスノーでは割り切れません。恋心は『曖昧』で『多様』です。そうなると『曖昧』で『多様』な日本語は恋愛小説には世界で一番向いている言語です。逆に学術書では日本語は英語に負けます。英語の学術書は分かりやすくて素晴らしいです。ただ、英語は効率優先で深みに欠ける言語です。
日本語は句読点の存在も深いですね。昔ある作家が読点の有無で半日悩んだそうです。日本語は句読点でいくらでも含みを持たせることの出来る言語です。句読点をどの様に使うか。句読点という存在は他の言語にはありません。中国語に句読点はありません。英語にはピリオドはありますが、読点はありません。読点の存在。書いていて日本語の素晴らしさに震えが来ました。
日本語は語順も深いですね。
『本日は晴天なり』
『晴天なり、本日は』
どちらも成り立ってしまいます。逆に英語では
『It is sunny.』
は出来ても
『Sunny,it is.』
になると意味が変わってしまいます。語順を変えたらサニーさんという人が出てきてしまいました。語順を変えるだけで意味が変わってしまいます。意味が変わらないという点で日本語は語順を自由に変えられる貴重な言語なのです。また、語順が変わるだけで印象も変わります。英語は語順が非常に厳密に決まっています。しかし日本語は語順はいくらでも変えられます。省略系も日本語は他の言語に比べて圧倒的に多様です。
『ぼくはうなぎだ。』
とまで省略するのは日本語くらいです。
日本語は実は非常に優れた言語ということを気づかないのは勿体無いです。日本語って、本当に素晴らしい言語ですね。日本語の素晴らしさを改めて確認しました。
ちなみに日本人は総じて根暗でした。ここ10年くらいですかね。人々が根明を極端に勧めるようになったのは。小室さんの極は根暗でしたが、AKBは根明になりました。根暗というのは優しいのです。この世は苦しみに溢れています。その苦しみに真摯に向き合えば根暗になります。根暗というのは真面目で優しいのです。また、根暗は何かを否定しません。根明は根暗を否定しますが、根暗は根明を徹底して否定することはありません。根暗は優しいのです。この優しい根暗というのを失ったのが現代日本人と思います。また、根明は排他的と感じます。その場がつまらなくなると嫌な感情を出します。しかし根暗はそもそも暗いのでつまらなくても問題にしません。現世という苦しみに溢れた世界と向き合うなら、きっと誰もが根暗になります。逆に根明は浅い気もします。
と、話がだいぶそれてすみません。物質的に豊かになった日本は無意味なほどの浅薄な根明国民へと変わってしまった気がします。伊達男、金と力は無かりけり。といいます。金と力を手に入れた日本はもはや伊達男にはなれないのでしょうか。清貧という言葉があるように、豊かになったら素晴らしい心を持つことは難しいのかもしれません。
また、個人的には美しいというのは非常に相対的なものだと思います。つまり人によって違うのです。上品な言葉は普通からすれば美しいといえます。しかし貧乏人からすれば鼻につくことも多いものです。日本語は曖昧で平和な言語ですが、英語圏からすれば覇気の無い甘ったれた言語ともいえます。私は貧困層の言葉も好きです。貧困の中で必死に生きる人々の言葉も美しいと思います。職人さんの言葉も好きです。
ですので美はありません。美とは名づけられるものです。名づければ何でも美になります。少しでも多くの美を見つけたければ、少しでも多くの物事に美という名前をつけましょう。芸術家は芸術を作るのではなく、芸術を見出す人のことを言います。美術家は美を作るものではなく美を見出すもののことです。
『みんな違ってみんないい』
金子みすずさんのこの言葉にすべてが集約されています。
<この国から美しいものがどんどんと消えてゆくように>これは日本が欧米化している、という印象がありますね。欧米はイエス・ノーの二者択一を迫ります。自己主張を迫ります。しかし日本は元々根倉で優しい民族です。桜が散って感動し、風に揺られる草に見とれる……。全ての物事に神様を見出し、(国家神道は別として、よろずの神という考え方は個人的には大好きです。)祖先をしっかりと供養する。物が無くても優しく上品に振舞う。日本人という国民性は本来は人間として理想的だったと思います。外国人も日本に来て驚いていたそうです。日本はなんて親切な国民なんだと。日本の女は世界一というのは50年位前は世界での共通認識です。昔の日本の女は地味です。間違いなく外人の方が外見では上回っています。男の落とし方。場の盛り上げ方。服装。スタイル。しかしなぜ日本の女は世界一だったのでしょうか。それは『優しさ』『謙虚さ』です。今の日本女性は欧米の女性と見劣りしませんが、中身が足りない気もします。今の日本女性は世界一でしょうか? 外見は中身があってのものです。人間、中身が一番です。外見だけ誤魔化してもいけません。そういう意味で現代は美しい『物』はいくらでも見出せます。スカイツリー、デジタルテレビ、インターネット、Wikipediaという宝物殿。他にも豪華絢爛な品物の数々……。しかし翻って心はどこにあるでしょうか? 素晴らしい心、誰かの為に自己犠牲になれる心、思いやりの心。悪の気持ちと善の気持ち。最近の日本人はどちらが多いでしょうか? 妬み・恨み・憎しみに踊らされていないでしょうか? もう一度、この機会に自分の胸に聞いてみたい物です。仏作って魂入れずという状態になっていないでしょうか。そのことを私達は改めて問い直す時期に来ているといえるでしょう。それは文明に対しても同じことがいえます。文明という仏は十分完成しました。現代は物質文明は文句無く最高潮に達しています。音楽聴き放題。勉強し放題。溢れる情報。しかし一方で物質を使う私達はしっかりとした心を持っているでしょうか? 理想的な物質文明を享受するだけの理想的な精神。物質文明が完成した今だからこそ、精神文明、自らの心を完成させる素晴らしい時期に来ているとはいえないでしょうか?
上の文章、格好をつけすぎて恥ずかしくなってきました。しかし消すのが勿体無いので残しておきます。何となく宗教っぽくて嫌な気もしますが、良かったら噛み締めてみてください。さて、文面を元に戻します。
<美しい日本語観>これは古代の日本人の在り方を基にした日本語が美しいと感じます。優しさ、繊細さ、思いやり、曖昧という優しさ。これこそが美しい日本語です。曖昧な日本語は平和を維持するには最高の言語なのです。現代の日本語はややトゲが出てきたと思います。それは欧米化の結果です。小説でも最近のものよりも、少し前のものが良いです。夏目漱石は良い文章を書きます。
結局、美しい日本語は美しい心に宿ります。優しく繊細で思いやりにあふれる日本語。それが美しい日本語。
長文を読んでくださって有難うございました。
お礼
わっかないんでしょうねぇ。 >『兼高かおる世界の旅』 なつかしくなって、当時の番組表をインターネットで引いて見ました。 すると「兼高かほる世界の旅」になっていました。 「かおる」が「かほる」になっていました。 まさか兼高さんが「かほる」と改名なさらないと思います。 「かをる」ならば、あり得ないことではありませんが。 美しい日本語にはまるで縁のない今の若いもんの仕業でしょうねぇ。 http://www.geocities.jp/sabajanee10/h_tbs_mon19.html 右の方の水色22:30のところです。