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The safety's on the wrong side. どういう意味でしょうか? 補足(ネットサイトから) So why's the safety on the wrong side? ・・・ It seems odd to me that semi auto's, single shots, and doubles NEVER have the safety on the wrong side. http://www.thehighroad.org/showthread.php?t=308716 みたいに、なんか「慣用句」にちかい、言い方かなと思ったりするのですが、私の例文は映画のシナリオです。
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お礼拝見。 おっしゃられることは理解できます。 私の文脈というのは、英語 ← → 日本語 という関係においては、ということです。つまり、たとえば英語を日本語に訳す場合のことです。 日本語でももちろんそうですが、ある言葉の包含する 「意味」 は一意とは限りません。まして、異なる言語の間において、A という言語における a という語は B という言語における b という語と、自動的に置き換えられるかというと、そうとは限らない。 よく引かれる例では、 a dog を単に 「犬」 と訳しても、本当は a dog という語に対して英米人の抱くイメージを必ずしも伝えてはいないということがあります。 A という言語においては、その言語ならではの意味の ふくらみ のようなものがあり、その ふくらみ が B という言語でのそれと重なり合うとは限りません。 それとは別な話になりますが、日本語で 「込み入ってます」 という文を示されて、意味を教えて下さいと言われても、少し困るかもしれません。やはり 文脈 が欲しいところです。つまり、「話がややこしいことになっている」 という場合の 「込み入っている」 なのか、「人が大勢いて混雑している」 という意味なのか、「大勢の人が入り込む」 という意味なのか、「精巧である」 (これは機械なんかの場合に使われることが多いですね) なのか、その文だけでは決定することができません。 あたかも1つの文だけで理解しているように感じるのは、その状況に自らが身を置いているからで、予め情報をインプットされた状態に置かれているので、意味を絞って理解している、ということが考えられます。 それと、英語を話す人が on the wrong side と耳にすれば、何かあることがまずい、あるいは良くないイメージというのを抱くだろうとは思います。そのままそういう 「イメージ」 として意識していて、状況に応じてそれに 「意味」 を付与することになります。 その 「意味」 は日本語ではありませんから、あくまでもイメージにとどまっています。 X という集合を考えると、その集合を A と B の領域に分ける。A は白く、B が黒いとします。「明るさ」 が求めるものであれば、A の領域が on the right side になります。その場合、B の領域は on the wrong side ということになります。 銃の安全弁の場合も、「自分が使うのに都合がよい」 というのが A の領域で、そうでないのが B の領域とされると思います。まさか集合の図を頭に描くことはないでしょうが、on the right side とか on the wrong side とか聞くと、その状況に合わせて2つの領域のどちらかを無意識のうちに選択していると考えられます。 そして、イメージのままでは日本語に写せませんから、そこで文脈が必要になるわけです。 ちょいと余計なことを長文で書いてしまいましたが、私は以上のように理解しています。
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- cincinnati
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まずご指摘のURLを見ましたら、これは銃に関するもので、イディオムではないと思いましたので、そのまま訳してみました。 The safety's on the wrong side. 安全装置が間違っている側にある。つまり「安全装置が操作上便利な場所にない。」 So why's the safety on the wrong side? ・・・ It seems odd to me that semi auto's, single shots, and doubles NEVER have the safety on the wrong side. それでなぜ安全装置が間違いと思われる場所にあるのか、.....半自動、シングルショット、そしてダブルなども本来あるべき側になくて、間違った側に付いている。 エンジニアセンスを働かせて想像しますと、銃のような危険な道具では子供が過て引き金を引いたり、撃鉄を持ち上げて、不用意に弾丸を発射させてしまう事がないように、意識的に操作させるためにあえて便利な場所ではなく、誤りとでも思える側に付けてあるのだと思います。
お礼
ネット先の解釈はその通りだと思います。したがって、この映画でのシナリオもそれに近いことを言っているのだろうと感じます。「安全装置が反対側でね」みたいな意味だろうかと、思っています。 ありがとうございました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
僕は銃の構造に疎いんですが 「安全装置が反対側にある」 http://eow.alc.co.jp/safety/UTF-8/ と言うことでしょう。一人は狙撃の名手の左利きでも右利きでも使える手の置き方についてコメントしていますね。始めてのライフルを手にした人の台詞でしょう。
お礼
「反対側にある」というのは慧眼だと感じました。そう訳すと、映画の流れに乗れるように思います。ありがとうございました。
- bakansky
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そのセリフがどのような状況の下に発せられたものかによって意味も違ってくるかもしれないと思います。 on the right side なら、ある規定の範囲内に入っている、という意味で、たとえばそれが法律に関することならば 「合法である」 という意味になり、on the wrong side なら 「違法である」 という意味になります。 また、お示しの銃の場合だと (私は銃の構造に関する知識がないので正確には分りませんけれども) セーフティ (銃の暴発を防いだりするための安全弁みたいなもの) がある位置が、使用者が右利きとか左利きとかによっても具合が悪いので、「反対側」 もしくは 「裏側」 にあればいいのに、といったような意味かなぁと推測しました。 ほかにも、たとえば born on the wrong side of the blanket という表現は 「私生児として生まれた」 という意味になり、 → http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/9173/m0u/BOR/ the wrong side of the tracks といえば、「町の貧民街(スラム)」 の意味になるし、 → http://idioms.thefreedictionary.com/the+wrong+side+of+the+tracks そういったマイナスのイメージを付与する場合にも用いられるわけで、他にもたとえば酒屋で酒を買おうとする場合、客が未成年者なら、その客は on the wrong side of age で、「未成年者である」 あるいは 「酒を飲んだり買ったり出来る年齢に達していない」 という意味になるでしょうし、状況によって意味が少し変るので、従って訳し方もそれに応じたものになるだろうと思います。 そもそも、お示しの文の safety がどのような意味で用いられているかによっても異なると思います。 「銃の安全弁」 の意味なのか、それとも 「安全」 という意味なのか。仮に後者だとすると、「安全が脅かされている」 みたいな意味であることもあり得るかもしれません。文脈 (状況) によると思います。
お礼
「文脈 (状況) によると思います。」とは、確かのその通りです。ですが、英語の勉強してきて、文脈ではないと一意の意味が確定しないと言うことに疑問を持っています。いま、私は日本文を書いていますが、この文章は日本人だったら、おそらく文脈で解釈することはないと思うのです。文脈でいろいろ意味が変わるってことがネイティブにもあるとすれば、それは、言語としておかしいのではないか。英米人には読んだとき、意味は一つではないか、そういう感じを持っていますが、どうでしょう。
補足
この台詞は映画なんですが、二人の警官がこの言葉を射撃練習の後、(冗談交じりに)唱和するんです。いかにも、なにか物を安全に扱うときの標語のように唱和しているので、そういう慣用句かなと思ったところです。
お礼
確かに言われることは原理的にはわかります。私は日本人で、英語の教育は10年以上受けてきました。しかし、とうていネイティブには及びもつきません。ですから、ネイティブにとって、ある言い回しは彼らにとって一意に”意味”が存在するのに、私のような辞書片手の日本人には”文脈がない”と意味が確定しないのではないか、そういう疑問と隔靴掻痒の気持ちに悩まされているところです。 on the wrong side という言葉は、私(たち)には辞書的に様々な意味がありますが、警察官がその言葉を唱和するときには、ある特定の意味を含んだ(もっともらしくもある教訓的な意味を含んだ)言い回しじゃないか、そう感じるわけです。 beautiful mindといえば、翻訳としてはたくさんあっても、欧米人にはほとんど一意的な意味しかないのではないか、いいかえればbautifulにたくさんの意味があってもmindという名詞がむしろ、その意味を限定してしまうのではないか、そいう感じもします。しかし、日本の英語教育はbeautifulのさまざまな意味を辞書的に教えるだけで、mindと合体したときの一意についてはほとんど教えていないのではないか、そういった焦燥感も禁じることが出来ません。 ご意見伺いながら、わたしなりの愚考を述べさせていただきました。ありがとうございました