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三国時代の人質交換の形式について

横山光輝の三国志を読み返していてふと疑問に思った事があります。 定軍山をめぐる魏と蜀の戦い(39巻)で夏侯尚と陳式の人質交換が行われますが、その際に両軍が双方の人質目がけて矢を放っています。それで黄忠の矢が夏侯尚に当たって負傷していますが、当時の人質交換はこのような形式だったのでしょうか。 もっと平和的に引き渡しても良いような気がするのですが…

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noname#107424
noname#107424
回答No.1

えーと、あくまで横光三国志が「フィクション」としてお話しますね。 この場合、戦闘中の捕虜交換なので、これも戦闘に含まれてると思います。 戦争が終った後に外交で交換される場合が多いと思います。

souken
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはりフィクションですよねえ。 交換の場で人質を殺してしまうなどすれば信用どころの話ではありませんし。

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