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「人質」の歴史
人質をとる行為自体は、戦争の発生当初からあったと思いますが、 「質」というものは、金融制度があってはじめて可能なシステムだと思います。 「国宝」より先に「人間国宝」が存在するはずないし、 「魚雷」あってこその「人間魚雷」のわけですが、 たとえば、日本を代表する人質(?)であった、徳川家康の時代、「質」も「人質」も、ことばとして存在していたのでしょうか?
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ああ、ごめんなさい。ちょっと書き方がまずかったですね。 やはり「質」は「担保」の意味が本来です。それが「人質」の意味に転化して使われたのは goo の国語辞書を見る限り「太平記」が初出だという意味だったのです。
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- nightowl
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回答No.1
少なくとも「太平記」の書かれた時代(1371年頃)には「質」という言葉は 「人質」の意味であったようです。 詳しいことは小学館の「日本国語大辞典(第二版)」に当たったほうがいいでしょう。
質問者
お礼
ありがとうございます。 つまりは、もともと「質」というのは「人質」のことだった。 それが金融業の発達で「質屋」が生まれて「質」という言葉を金貸し用語として使うようになった。 ケースとして、「人質」をとることは戦国時代でもなければそうそうないので、「人質」のほうが特殊用語として独立した。 ということになるでしょうか。
お礼
補足ありがとうございます。 すると、家康(当時は竹千代)は、れっきとした「人質」だったわけですね。