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フリーライダーとナッシュ均衡その2

公共財におけるフリーライダーとナッシュ均衡というのは、供給側 の問題として論じられるであって、需要側の問題として論じられる ものではないのでしょうか? 私のテキストには、公共財については、需要者は、ナッシュ均衡と して、フリーライダーになり、結果公共財は全く供給されないような 結論になっていいるのですが、・・・・。

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  • aokisika
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回答No.2

>フリーライダーという戦略には、相手はフリーライダーをしないであろという前提があると思うのです。 そうとは限りません。 相手がフリーライダーをした場合には、自分だけが費用を負担することになります。完全競争市場では、市場の参加者は自分自身だけの利益を考えて行動することを前提としています。ですから、相手は相手自身の利益だけを考えて行動します。そして相手から見た相手、つまり「こちら」がフリーらーだーをした場合、自分だけが費用を負担するのは損だ、と考えたとすると最も合理的な戦略はフリーライダーになります。 とはいえ、自分が費用の全顎を負担しても、それ以上の便益が得られるのなら、相手がフリーライダーをしようがしまいが、自分が費用を負担して公共財を購入するかもしれません。ではそれはどんな状況でしょうか? a1b さんの家の前の道路が舗装が壊れてぬかるみになりました。これを行政ではなく市場が修理するとしたら、だれが費用を負担するのでしょう?a1b さんですか?でもa1b さんの家の前の道路を歩くのはa1b さんだけではありません。自分の家と駅との間にa1b さんの家があるような人はみんなa1b さんの家の前の道路を歩きます。ではそういう人たち全員から道路の舗装代を徴収するにはどうしたらよいでしょうか? 「金取られるんだったら、おれは他の道通るから払わねえよ。」 と言われてしまったら、お金は取れません。これはa1b さんが自腹を切って舗装するに違いない、と考えているからでしょうか?それともただ単にお金を出すのが嫌だからなのでしょうか? a1b さんが自腹を切ってご自分の家の前の道路の舗装工事をするとは、私には思えないのですが、いかがでしょうか。 先のご質問の例2に対応するような具体的な例を思いつくことがおできになりますか?おできにならないのであるなら、単なる数字遊びにすぎません。かつて中世のスコラ学派が行った、「針の先で何人の天使がダンスをできるか?」という議論と同じです。 a1b さんにしても、「公共財にすべてにおいて、フリーライダーをしない方が利益になるようなナッシュ均衡が存在する」とお考えになっているわけではありませんよね。「数字合わせをすると、そんなナッシュ均衡を考えることができる」というだけでしょ。 そして、国民生活に必要でありながら、自由競争によって供給されないような財については、 「市場競争による均衡価格と均衡供給量が達成されたときに総余剰が最大になるので、政府は市場に関与すべきではない。」 というミクロ経済学の結論に関わらず、政府や行政が関与することが正当化されるのです。これが公共財に関する議論の本質なのです。

その他の回答 (1)

  • aokisika
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回答No.1

議論の順序が違うように思います。 「公共財」と呼ばれるものがまずあって、その公共財に関して非排除性その他の特徴があり、その特徴の一つとしてナッシュ均衡が成立する、 というのではありません。 ミクロ経済学では、まず市場を単純化した「完全競争市場」を考えます。そして完全競争市場においては、需要曲線と供給曲線の交点で財の供給量と価格が決まり、このときに総利潤が最大となります。だから、市場には政府は関与すべきではなく、市場競争に任せるべきだ、というのがミクロ経済学の結論の一つです。 しかし、財によっては、市場競争がうまく機能しないような財が存在します。これをアダムスミスは「市場の失敗」と呼びました。 市場の失敗の一例として、公共的な性格のある道路などの財があります。これらの財には非排除性があるため、フリーライダー問題を生じてしまい、市場競争に任せておくと全く供給されなくなってしまいます。だからこのような財に関しては、政府や行政が積極的に関与すべきだというのがもう一つの結論です。そしてこのような財を「公共財」と呼ぶのです。 経済学の前提である、「市場の参加者は、自分の利益だけを考えて行動する」ということが完全競争市場で公共財が供給されない原因なのですが、この前提(=需要者の行動)を「解決すべき問題」ととらえた場合、解決策は道徳の分野になってしまい、経済学ではなくなります。ですから経済学ではこの前提を所与のものとして、「政府が市場に関与する」という方法により公共財を供給すべきだ、とするのです。 ところで、前の質問での例ですが、市場がAとBの二人だけで構成されている場合は例2が成立しますが、無数の参加者がいる場合には成立しません。

a1b
質問者

お礼

回答有難うございます。 その後も考えておりましたが、やはり、公共財のフリーライダー とナッシュ均衡の関係については、納得のいく資料にぶつかって おりません。 今考えておりますのは、フリーライダーとナッシュ均衡では、戦 略に矛盾があるように思われるということです。 ナッシュ均衡は、相手の出方を見て、それについて、最善の戦略 をとることと思います。 しかし、フリーライダーという戦略には、相手はフリーライダー をしないであろという前提があると思うのです。

a1b
質問者

補足

論理明快な回答有難うございます。 投稿文を作成しているとき、表現に迷う部分があったのですが、やはり 適当でない部分があったようです。 同じシリーズのテキストに、寡占(複占)の価格の下方硬直性のナッシ ュ均衡による説明がありました。 こちらは素直に理解できました。 公共財についても供給面からは、フルーライダーの存在から、供給量が 減少して、厚生の損失が生じることは理解できまいた。 一方、需要面からの説明としてフリーライダーになるという選択により ナッシュ均衡として、両需要者はフリーライダーとなり、結果供給もゼ ロとなり、需要もゼロとなる旨の説明がありました。 しかし前回の質問の例2で例示しましたとおり、価格と効用の関係によ っては、成り立たない場合があり、複占の場合と違って、一般化は出来 ないのではないか思いました。 そこでネットで検索してみましたが、需要面からフリーライダーとナッ シュ均衡について説明したものが見当たりませんでした。 そこで、今回の質問をさせていただきました。

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