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江戸幕府は結局どうやって借金を返したのか?
借りたものは返さねばならず、借金は消えてなくなることはないと思います。 幕末、幕府は財政事情が逼迫し、借金を返すことなど到底できない状態までになったとききます。幕府は倒れるわけですが、その借金は誰がどういう形でかぶったのでしょうか?一番損をしたのはどのような人たちで、得をしたのは誰でしょうか? 今の日本政府も、おそらく江戸幕府と同じような形で借金を返済するのだと思いますがいかがでしょうか?
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江戸幕府や大名達の借金は、基本的に大坂などの商家などが貸したものですネ。 そして、江戸時代後期に徳政令が出され、借金は踏み倒されたハズです。 その後も、幕府や大名は借金をし続けました。 最終的に江戸幕府が抱えていた借金も明治維新と共に踏み倒され、莫大な額の借金は商家の損失として終わってしまったと聞き及んでいます。 それが尾を引いており、大阪のお上嫌いの風土が培われたとも聞いております。 以上kawakawaでした
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- searchingboy
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踏み倒しですすね.私は何かでこの話を読んでいましたが,両替商が没落したと聞いていました.御用金はただ取りではなく,借金と同じです.利息をつけて返すのことになっています.両替商の天王寺屋、炭屋など40軒も潰れたのです.幕府と新政府でしょうか. --昭和48年毎日放送出版--大阪の世相- 政府も同じ事をするでしょうね、戦後の混乱期もありました.新円切換
- aminouchi
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政治主体としての幕府は、すでにshoyosiさんのお答えになっている通り、 国内においては債務はありませんでした。 当時には、現在の国債のようなものはありませんし、極端に言えば、幕府 は強権を発動できますから、借金をする必要はありません。もっとも、そ の場合に資金源として狙われるのは主に豪商たちですから、彼らが泣いた とは言えますね。 商人たちに借金をしたのは、大名・旗本やその家来たちです。また、後に 明治新政府を作ることになる薩長などは倒幕資金の一部をやはり借金して まかなっています。 以上、今までの皆さんの意見をまとめただけの回答です。(皆さんが「自信 なし」なので、それで良いのですよという意味でしゃしゃりでました。)
- woodp
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こんばんは。 全く自信がありませんが、土佐藩の借財は、当時の藩政後藤象二郎が岩崎弥太郎に、大阪、江戸、京都藩邸、海援隊資産をもらう代わりに土佐藩の借財を丸投げにした話は有名ですね。 ただ、岩崎弥太郎もその後借財から逃れるために、会社をつぶして再設立するというやり方を数度繰り返していますから、結局取引先が泣き寝入りという事だったのではないでしょうか? 又、明治政府は維新直後に政府債を発行していますから、当然幕府の物とは区別されるでしょうしねぇ・・・ ということは、泣いたのは商家でしょうねぇ。 末端までの波及効果を想像したら、少し怖くなってきますね。 結局、江戸幕府の踏み倒しというのが・・妥当だったのではないでしょうか? 想像の範疇を全く越えませんが、少し楽しい話題だったので、首をつっこんでみました。 ご参考になれば幸いです。 ならないか・・?
お礼
やはり、踏み倒ししかなかったでしょうね。小泉氏が総理になりそうな勢いですが、(4月22日現在)小泉首相は財政再建をするのでしょうね。そして、踏み倒すようなことはなさらないでしょうね。
- shoyosi
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幕府は国内には、ほとんど借金はなかったと思います。幕府が大工事のため、金が必要なときには、富裕な藩に申し付ければいいし、手元不如意なときには、貨幣の改鑄、幕臣の知行借上げ、それでも足らないときには、商家に対して御用金の取りたてという手段があります。現代と違って、権利義務意識なんかないですので、お上のいうことは、ご無理ごもっともで済んだ時代です。結局、そのつけは、幕末のインフレーションになりました。各藩の借金は、有力商家からの借金や藩札、家士に対しての借り上げがありましたが、結局はこれらもご破算になりました。
- nobor3
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明治政府が返済しました。 参考URLに詳しく載ってます。 あと、司馬遼太郎さんの本のどこかにも書いてあったんですけど、どの本だったか思い出せません。
補足
ありがとうございました。参考URLを見ました。 しかし、残念ですが、私の質問したかったのは、幕府の対外債務ではなくて、国内向けの債務です。幕府は、国内の民間人から多額の借金をしていたはずです、また、幕府の出先とも言うべき藩も同じように民間から借金をしていたはずです。それらの借金を誰がかぶったかを質問いたしたかったのです。
補足
やはり、そうでしたか、という気持ちです。結局、取れるところから採る、つまり、小金持ちの末端の人たちが背負うということなのでしょう。 おそらく、現在の日本政府の借財も、同様に処理されるような気がします。 大阪のお上嫌いの風土が培われたとも聞いております。”とはなかなか、鋭いご意見で、納得してしまいます。