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哲学はすべての価値を前提としない?考えてみた
- 哲学はすべての価値を前提としないと言われるが、それは本当だろうか?
- 公理系を前提としていない哲学は矛盾していると言えるのではないか?
- 価値のある哲学は、より多くの事象を説明できる理論に基づいていると言える。
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質問者が選んだベストアンサー
その方は「哲学はすべての価値を前提としない。」をどういう意味で言ったのでしょうか?文字通りなら、考えること自体不可能になってしまうので、おかしいです。考えは何らかの価値基準(相対的な基準)があります。ただ、「既成の価値観にとらわれない」という意味ならその通りです。公理や定理さえも疑って見直してみる(違う角度から考えてみる)のが、哲学という学問だと私は思います。
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- 勢十郎(@Arrogance1)
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他人の考える前提や価値に囚われないということに感じます
お礼
ありがとうございました
- Mokuzo100nenn
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>哲学はすべての価値を前提としない。 拙者はそれで良いと思います。 Philosophyを和訳する時に「学」という文字を当てたために、哲学を学問の一種だと勘違いしている人が居ます。 哲学は人類の貴重な文化でありますが、学問ではありません。じゃあ、なんだ?と聞かれれば、拙者としては、芸術であると答えることにしましょう。芸術の中でも絵画の様な分野だな。違いは絵筆・絵具を使うか、言葉を使うかだけです。脳みそを使うスポーツだという人もいますがね。 絵描きがある景色を見て、それを自分なりの解釈でキャンパスに描く、哲学はこの絵描の行為と極めて似ています。絵描が外部の自然をどんな色で表現しようが、それは絵描の自由。規則はない。だから学問じゃなくて芸術だ。 哲学に関する議論というのがあるが、これも勘違いされやすいね。哲学には「哲学する人」と「その哲学を観賞する人」がいるだけであって、議論してもしょうがない。絵を描く人と絵を鑑賞する人がいるのと同じだな。 議論のように見えるのは、まあ、質疑応答ですよ。質疑応答でなければならない。 哲学する人が、なぜそのように哲学したのか理解しがたいので、そこのとこもう少し説明してくれませんか?と「哲学を鑑賞する人」が問う。質問が許され、それに対する回答が与えらるわけ。それだけ。これが、ときどき議論の様相を呈してくるけど、そのそも絵描が勝手に描いた絵だもの、その絵が正しいか正しくないかなど、正誤の議論したって不毛。 美しいな、観賞する価値があるな。と思えば観賞するし、そう思わなければ黙って無視する。それだけ。 自分では哲学できないことを棚に上げて、他人(ひと)の哲学を批評する失敬な人物がいるけど最低だね。 自分で哲学し、それを発表することは、ものすごく骨が折れ、また勇気のいることなので、生半可な精神力の人間ではできないですよ。それを、常人なら踏みとどまるところを、勇気を持って自らの哲学を公表し世間の評価に晒そうとしているわけだから、まず、その方の勇気をたたえ、彼の哲学を拝見する機会があることに感謝しなくちゃいけない。批評を口にするなどもってのほかだな。 絵画はすべての価値を前提としない。 哲学はすべての価値を前提としない。 両方とも学問じゃないからな。
お礼
ありがとうございました
学問であれ、芸術であれ、人間の基本的な精神の営みは価値の創造です。今ある価値観の上に新しい価値を作ることもありですし、従来の価値観をいったん壊してそこに新しい価値を置きなおすということも良くなされることです。哲学も同様に先人の作った価値観から出発することもあるでしょうし、それを否定するひともあるのは当然でしょう。 ただ、哲学が他と異なっているのは、この分野そのものが他の学問に比べてより原初的な、すべての精神的な営みの基礎になりうる広い分野をカヴァーする学問だというところにあります。そういう意味では哲学は、より原初的な価値観に言及しうる学問だといえるわけですが、それが端的に「すべての価値を前提としない」と言い換えることができるかどうかは微妙なところです。 たとえば物理学でもひも理論を前提とせずにもっと斬新な理論を前提とすることも可能でしょう。しかしその思考方法に数学理論が必須であるように、哲学でも無からの出発は不可能で、しっかりした言語系の支援が必須だと思います。
お礼
ありがとうございました
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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価値以前の価値。 無前提の価値。 前提としない価値。 ということでしょうね。 出発の最初は何か、それがどうして出発か、出発地か。出発の前は何か。でしょうね。
お礼
ありがとうございました
- mmky
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哲学はすべての価値を前提としない。本当にそうだろうか。 ○哲学は、他の学問のような相対的価値基準を元に出来ている学問ではありません。 その本質は、ヘーゲルの哲学にあるように「絶対精神」あるいは「絶対真理」というものを基に出来上がっているものです。そこが哲学が宗教の一部と言われるゆえんですね。 このことは、天空に輝く北極星とその周りをぐるぐる回る無数の星に例えられます。ぐるぐる回る無数の星が哲学の本質であっては方向が定まらないからですね。地上に60億を越える人間が生きており、各々の価値観がくるくる変われば大混乱してしまいますね。現代はそのようにも見えますが、哲学は北極星を基準にしているのですね。無数の星が百家争鳴のように存在しても、目的は一つなのですね。北極星に向かって同じ価値観を共有しようとする永遠の営みですね。その指針が哲学ですね。それを哲学者は噛み砕いて、たとえば「最大多数の最大幸福」とかいろいろと表現しているわけですね。そのような基本的な論理はあるわけです。 ということで、「哲学はすべての価値を前提としない。」は哲学読みの哲学知らずですね。 論語読みの論語知らずと同じと言う意味です。
お礼
ありがとうございました
- shift-2007
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>「哲学はすべての価値を前提としない」 たぶんあなたの解釈違いと思いますよ。 哲学も科学も同じですよ。 天動説を公理として何も疑問に思わなければ科学の発達はなかったでしょう。 同じように哲学も、常識や過去の偉人たちの言葉をうのみにしてはいかんという事でしょう。
お礼
ありがとうございました
お礼
一般的には役に立つということに価値が置かれるが。哲学はそうではない。つまり、哲学は役に立たなくてもよい、という文脈です。私はこんな理屈は詭弁に過ぎないと思っています。