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矛盾律の絶対性について

私自身は数学について表面的な理解しか持っていません。ですが、気になることがあるのでここに質問させて頂きます。 数学(すべての学問?)は公理という証明不可能な前提の上に構築されたものだと理解しています。なので、数学において絶対確実な真理というものは存在せず、あくまで仮定のうえでの体系であるということになると思います。 一方で矛盾律という考え方があります。これは公理とどのような関係にあるのでしょうか?私にはこれは公理とは関係なく犯すことのできないものであるように思えるのですが・・・。それとも、矛盾律も何らかの公理の上に成り立っているのでしょうか?もしくはこれ自体が公理のような性格のようなものなのでしょうか? 質問は以上です。御教授お願い致します。

みんなの回答

noname#108554
noname#108554
回答No.3

>どのあたりが言い過ぎ(問題)なのでしょうか? このあたりです。 >2.矛盾律を否定すると数学は成り立たちません。

Directio
質問者

お礼

ああ、なるほど。自明でしたね。ご指摘ありがとうございます。

noname#108554
noname#108554
回答No.2

世の中変なものを考える人がいるもので、矛盾許容論理というのがあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%9B%E7%9B%BE%E8%A8%B1%E5%AE%B9%E8%AB%96%E7%90%86 ですが、私はべつに数理論理の専門家ではないので、これ以上触れられません。 興味はありますが、たぶん無茶苦茶難しいです。 ですから、No.1さんの回答はいいすぎかと。

Directio
質問者

お礼

「矛盾許容論理」初めて聞きました。矛盾と学問・科学は相容れないという固定観念があったのですが、そうとも言い切れなさそうですね。 ところで疑問なのですが。 >ですから、No.1さんの回答はいいすぎかと。 No,1の方は「矛盾律も公理である」と主張されていて、「矛盾許容論理」も公理のひとつであるということならなんら問題ない気がしますが、どのあたりが言い過ぎ(問題)なのでしょうか?

  • ojisan7
  • ベストアンサー率47% (489/1029)
回答No.1

>数学は公理という証明不可能な前提の上に構築されたもの 確かにそういう見方もできますが、本来、公理は証明を必要としない命題です。ある公理が真か偽かではなく、その公理を真と仮定した場合どうのような数学が構築でき、偽と仮定した場合はどうなるかということです。そういう意味で数学は、「あくまで仮定のうえでの体系である」といえそうです。しかし、「・・・だと仮定すれば、・・・・だ」という、括弧内は、証明に誤りを含んでいない限り、正しいでしょうね。ですから、数学は哲学者が考えている以上に正しい学問体系であると思われます。 >矛盾律も何らかの公理の上に成り立っているのでしょうか 矛盾律は公理です。矛盾律を否定すると数学が構成できません。矛盾律に類似の論理として、排中律があります。排中律を否定した数学が、直観主義の数学です。もっと正確に言うなら、直観主義は排中律を否定し、「中」の存在を主張しているわけではありません。ただ、証明の場面では、排中律を使わずに、「構成的な証明」(この用語の意味はご自分で調べて下さい)をするようにしているということです。「構成的な証明」は具体的で理解が容易ですが、証明を発見するのが難しくなります。個々の命題に対して、構成的な方法をとることは非常に困難(絶望的)です。 なんか、つい余計なことを書きましたが、言いたいことは、以下の3点です。 1.矛盾律は公理です。 2.矛盾律を否定すると数学は成り立たちません。 3.数学は厳密です。哲学者が考えるほどあいまいな学問ではありません。 以上、参考になりましたら。

Directio
質問者

お礼

分かりやすい説明でした。ありがとうございました。

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