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平安時代の家集「忠見集」に「うちの仰言にて父忠岑が歌奉れと召しあるに書
平安時代の家集「忠見集」に「うちの仰言にて父忠岑が歌奉れと召しあるに書き集めて奉る」という記述があるそうですが、この意味を教えてください。 まず「うちの仰言」とは誰が誰に言った言葉ですか? 忠見は忠岑の子ですが、忠岑が「和歌を奉納せよ」と誰かに言われたので、子である自分がかき集めたという意味でしょうか。それとも、父忠岑に言われて集めたという意味でしょうか。 よろしくお願いします。
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うちとは「内」で「上」と同じで天皇の事を指します。忠見は村上天皇の御代に活躍した歌人ですのでこの場合は 「村上天皇が父の忠岑の詠んだ歌を提出するようにと私に御命じになったので父の歌をまとめて献上した」という様な意味になります。村上天皇は他にも中務に母・伊勢の歌集を奉れと命じて歌を献上させています。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答No.1
歌集ですね。 うちは=内裏でしょうかね。 大君(その言葉を伝える方が介在したかも知れませんね)の仰せの言葉のお召しを父忠岑にあった。 ご質問者同様に、それで子忠見が「忠見集」をなした、というふうに思います。
質問者
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
「忠岑の詠んだ歌を提出するように」と言う意味なんですね! ありがとうございました。