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枕詞について

枕詞は万葉集に多く出てきますが、初めは意味のある言葉だったといいます。では、平安時代と違って万葉集の現代語訳では常に枕詞の意味も訳出する必要があるでしょうか。  それとも、万葉集に収められた歌は広い時代にわたっているので、前期と後期では、枕詞の実態性も変化しているでしょうか。家持の歌などは殆んど平安貴族というよりは現代詩人の繊細さなので、そんな変化を予感させます。

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  • OKAT
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回答No.3

 枕詞について、国語学者林巨樹氏は「記紀万葉以前の発生期には、意味のはっきりした形容語句であっただろうが、次第に形式的な修飾句となった。」と言っておられます。すでに記紀万葉時代には形式的になっていたというからには、現代語訳に訳出するかどうか、訳してみて煩雑になることもあり得るので、個人的な判断が必要でありましょう。  やすみししわご大君の高知らす吉野の宮はたたなづく青垣隠り川波の清き河内そ…(山部赤人) という長歌の場合、「やすみしし」を「国の隅々までお治めになっている」の簡略化された「この国をお治めになる」のような言葉は加えてもいいという考えはありましょう。しかし、枕詞のすべてがこのように活かせるとは限らないので、ここも判断を要するところです。(ただしこの歌の場合は、例に挙げたものの、すぐ後に「高知らす」が続いて繰り返しになるため不適当でした)  枕詞は働きの上から、1.説明的「やすみしし」-わが大君 2.比喩的「白妙の」-雪 3.韻律的「ちちのみの」-父 のように分けれるようですが、「白妙の」のような比喩は訳出することもできるのではないでしょうか。

gesui3
質問者

お礼

記紀万葉時代にはすでに形式的になっていたとは、驚きです。訳出は、ケースバイケースということでしょうか。ご教示をありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • Postizos
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回答No.4

2ですが。 語として重要な意味のあるものが変わったというよりは最初から歌という形式を示すために必要だったんではないでしょうか。(音数律であるとかいろいろの約束事と同じ) 意味が無いわけではないけれど枕詞のほうに表現や意味としての主眼が置かれているわけではないのは当初からと考えた方が良いのではないかというのが私の論です。 詩として成り立たせるための形式だからといってもそれが形式主義とは言えないように思います。(形式=形式主義、ではない) またゲーム性があったとしてもそれは文学的価値や精神的なものを低めるとか対立するものではないのではないでしょうか。 言葉を切り詰めた短い形式の詩という特性もあって、すべてを逐語的に現代語に訳する必要はなく、これは枕詞であると知った上で原型を音読を含めて味わうというようなアプローチで良いのではないでしょうか。 だから「これは枕詞である」という註釈がいちばん適当のように思います。 たとえば「たまくしげ」なんていうのはしゃれと言うか語呂合わせみたいな要素が強いわけですけれど、それが使われているからといって技巧的に発展したとか、原初的な力強さが薄れた、というふうには言えないように思います。 家持と初期の歌との違いは、歌のおもむきが生命とか人間を取り巻く自然との関わりというような原初的なものから人と人の関わり方のほうに関心が移っているように私は感じます。

gesui3
質問者

お礼

ありがとうございました。 一つ分かったことは、断定的なことは誰も言えないということです。それぞれの解釈や説がある、という風にこれまで読んできて思いました。キリない話なので、この辺で一区切りをつけさせてください。

  • Postizos
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回答No.2

私は万葉集であっても歌は知的な遊びであったにちがいない、知的な遊びだったから愛されて競ってたしなまれたのではないかと考えます。 ですので枕詞は歌=詩としての形式を表すものであったのではないかと思います。 例えば「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々しき夜を独りかも寝む」 などはすでに形式となっていたという前提が無いと「長々しき」をひきだしている洒落としてのおもしろさが成り立たないように思います。 音声としての効果から考えられている要素も大きいでしょうから、意味としての訳は困難な場合も多いのではないでしょうか。 でも「あしびきの やま」などという語は長く引いたすそ野であるとかを連想させるものがあるようにも思います。

gesui3
質問者

お礼

形式も実体も両方、ということでしょうか。つまり、その区別は判然とはしない。 どうもありがとうございました。

  • banzaiA
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回答No.1

>万葉集の現代語訳では常に枕詞の意味も訳出する必要があるでしょうか 万葉集を専門の研究とされているのであれば、話は違うでしょうが、 一般的には結論として、必要ないでしょう。

gesui3
質問者

お礼

ということは、万葉の頃からすでに空語化していた、ということですね。 ありがとうございました。

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