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信長の徴税方法
織田信長の経済政策の中に有名な楽市楽座があります。 これは既存の市や座の制度を廃止して、誰でも商売がしやすくできるようにして商業を発展させ、領国内を経済的に豊かにしたと一般的には言われています。 しかし、既存の運上金や地子銭の廃止まではわかるのですが、それが信長の経済的発展につながるには、既存のそれらに変わる徴税システムを採用していたかまで理解できないと説明がつきません。 領国が栄え、領民が豊かになる。でもそれだけでは織田家の経済的発展にはつながらないので、何らかの方法で税を徴収していたと考えられるのですが、具体的にはどのような方法がとられていたのか、御存知の方がみえたら教えていただきたいと思います。
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- eroero1919
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- ?橋 昌也(@fudousin)
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- jkpawapuro
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回答No.1
お礼
ありがとうございます。 ロケンロールはなかなか素敵な表現ですね(笑)大好きです、こういう表現(爆) つまり、定額徴収方法から参加料へ切り替えて徴収したわけですね。 で、参加人数を増やすことにより総額を増やす…関所の撤廃と相乗効果で人も物資も流動化し、集客能力があがった領国内にはますます参加料を支払う商人が増えて…という感じですね。 あとは具体的な徴収方法がわかればいいのですが…代官をおいて徴収させたのか、あるいは商業施設を利用した現代のフリーマーケットのような受付みたいなものがあって、そこで参加料を支払ってから出店させ、その受付から徴収したとか…