信長は他の武将たちと異なり、商業(経済活動)を重要視していたと云われます。
代表的な政策として、自分の支配下の街には楽市楽座として経済を重視しており、当時の商業の中心地だった堺を早くから抑えてしまったのもそうした商業重視の一旦だったようです。
天下を取った信長というイメージから、織田軍が強かったという印象になりがちですが、実は信長の率いる尾張兵は元来は全然強くなかったと云われています。
では何故信長軍が常勝軍団になったかというと、“経済的に非常に恵まれていたから”という理由のようです。
信長が早くから経済活動を重視し、自分の領内で商人に自由に活発に活動させたために、信長の領内に商人たちが集まりたいへんな賑わいをみせ、そこから税金を徴収するシステムにした結果、織田家自体も富裕になったようです。
こうした経済力を背景にして、当時は百姓を行いながら戦に参加している半農半士という常識を改めて、信長は自分の兵隊を農業から切り離してプロの戦闘集団に切り替えることができ、当時まだ数が少なかった鉄砲を大量に購入することも可能だったようです。
当時の他の地域では百姓をしながらの戦ですから、田畑の忙しい時期は戦えないなどの制限があるパート軍団であるのに対して、信長軍は常に戦うことが可能であり、毎日戦のための準備や訓練が可能なプロ集団であるので、次第に戦力に差がつくことになったようです。
したがって、信長は経済政策により天下を取れたといえるようです。