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織田信長の首はね
- 織田信長のパイオニア精神と戦略的な考え方について紹介します。
- 信長は豪華な城を建て、カリスマ性と凄まじいパワーで家臣を引っ張っていきました。
- 信長の気性の荒さについてと、首をはねる行動の真相について考察します。
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質問者が選んだベストアンサー
>その場(畳敷きの間)で我慢ならず家臣や小姓の首をはねていたのでしょうか? ない、ない、ない・笑。そういうのはマンガなんかにゃ出てきますけど、信長以外でも滅多に聞かないですよ。そうだなあ、福島正則が泥酔して部下を斬っちゃったってことはあったみたいですけど。彼は酒乱だったらしいのでね。 忠臣蔵の松の廊下の場面でも、「鯉口三寸、抜けば切腹」なんてあるけど、武士だって所構わず刀を抜いたら、時と場合によっては「抜いただけで切腹」なんてことにもなりかねないのですよ。あの浅野内匠頭も「公式の席で刃傷沙汰を起こすとは不届き千万」とその日のうちに切腹を命じられてますでしょ。おかげで、彼が何で刃傷沙汰を起こしたのかの原因は歴史の永遠の謎になってしまいました。 ああそうだ、信長が視察に回っていたときに不埒な農民を斬ったってことはあったみたいだけど、城の中で刀を振り回すのと、無礼な農民を斬るのではまた全然話が違います。 また念のため申し上げれば、江戸時代の武士は町人や農民を「切り捨てご免」ができたとよくいいますが、そんなことをやらかしたら大変です。「町人や農民に刀を抜かなきゃいけないような恥をかかされた時点で武士としてアウト」という名目で、その武士は切腹を命じられます。だから、町人や農民を斬るときは自分も腹を切る覚悟でいなきゃいけないのです。 話しを信長に戻せば、とはいうものの信長は家臣には非常に恐れられていたことは間違いないようです。あの柴田勝家でさえ、信長の前では「獅子の前にいるようにひれ伏していた」と宣教師に書かれています。
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先を見ることができるなら逆に家臣や武士の力が必要な時代 殺してたら他の大名に領地を狙われて殺されます。 身を守るのに武士が何人いても足りない時代なので。
お礼
まさにその通りだと思います。回答ありがとうさまでした。
- Tacosan
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そも最初の段落からして間違ってるわけでして.
お礼
マジすか?うはw
- bi-mota
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かなり作られた部分ですね。信長というのは、戦国武将としても、画期的ではあったかも知れませんが、たいして強くも無かったんですよ。秀吉、家康ともども。
お礼
信長個人は武芸に特段秀でて強い、という印象はありませんよね。 ただ色んな要素を含んだ権力者としては強かったと思います。ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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無いですね~ 信長の資料で最も信頼できる「信長公記」(太田牛一著)と「日本史」(ルイス・フロイス著)によれば 確かに信長は短気だったが 理由も無く部下や家臣を手打ちにはしなかった とあります いくら殿様とは言え 理由も無くただキレたってだけで部下を切りまくってたらみんな信長から離れますよ 笑 あとドラマや映画で見る信長は脚色されすぎてます 笑 珍し物好きだったのは事実のようですが
お礼
いつも変な質問に答えて頂きありがとうございます!なるほどそぅなんですねぇ。 逆に理由があったら部下や家臣への手打ちもあったのでしょうか・・・怖い(T_T)
- kamobedanjoh
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相当に短気で専横だったように伝えられています。 個々のシーンの多くは、江戸時代の「読み物」の創作(フィクション)が多いと云われています。 秀吉や光秀、その他の武将達についても、同様読み物から伝説化されていると感じます。 官兵衛や半兵衛も、赤兵衛的伝説かも知れません。 直接臣下の首を刎ねるなどは、愚行にしか見えません。 そのような行為を繰り返していては、天下取りなど出来るはずがありません。 清洲城で下克上される運命が関の山でしょう。 あの時代のエピソードの多くは、話半分以下であろうと思われます。
お礼
竹中半兵衛、黒田官兵衛は実在していたと思われます。たしかに江戸時代に相当誇張した風物、俗物的な大衆読み物や歌舞伎なんかにも伝承として残ってるエピソード多くありますものね。 勉強なりました。ありがとうございます!!
お礼
奥深い回答ありがとうございます。こういった雑学的にフェードアウトしていく感じ大好きです♪ 浅野さんの事件の動機、不明なんですねー。いやー、楽しませて頂きました。ということでベスアンどうぞです!!