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織田信長の改革における一部例外の容認について。
織田信長の改革における一部例外の容認について。 関所の廃止や楽市楽座の実施にて、信長は故意に関所や座の存続を局所的部分的に残しています。 合理思想の信長にとって、そのほうが効率的だったからだと思うのですが、 その意図するところが分からないのです。 どなたかお解かりになりますか。
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- gakihashine
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回答No.2
先の方が述べている事もあるでしょう。 あと、座について言っておきたいのですが、人々の意識がついてきていなければ政策を実行しても失敗する、ということです。 たとえば、絶対王政が栄えている時代に、民主主義は受け入れられないでしょう。 物々交換しかない社会には、株式市場を作ることはできないでしょう。 当時は地方ごとの違い、差が今とは比較にならないほど大きかったのです。 座があってもそれで織田家が有利になり、また社会がうまくいっている。 なら、当分はそれで良い。 人々の意識が楽市楽座を求める段階になるのを待つ。 こんな感じではないでしょうか。
- tadagenji
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回答No.1
関所は、そこを通過する者のチェックが可能になることから情報取得目的に必要なところを残した。 座は特定職業のまとめ団体であることから(現在の自動車工業会など)、戦略上、必要な座は温存した。 ex:鍛冶屋、火薬取扱い等