• 締切済み

タダより高いものはないとは言いますが

 現代の経済学の基本的なものの見方の一つとして、「適当な価格付けがなされる事で需要と供給が上手く調整される。」というものがあるように思いますが、この質問コーナーでは、質問の回答を受ける費用がタダ(アドバイスへの見返りがない)であるにも関わらず、適当な水準の回答(供給)と多すぎない質問量(需要)が存在しています。勿論世の中にはボランティアというものがありますが、ボランティアにある参加者の社会的便益とかそういったものもこのコーナーには(不特定多数が参加しているので)ありません。この現象に関して首尾一貫した経済学的説明は可能でしょうか。

みんなの回答

noname#15238
noname#15238
回答No.8

お邪魔します。 個人的にはこの質問は好きなタイプです。 時間の関係で気になる点だけ書き込させていただきます >この現象に関して首尾一貫した経済学的説明は可能でしょうか。 この現象から普遍的経済法則を見つけ出すのが経済学と個人的には考えています。 「人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても・・・(かれら)の幸福を、それを見るという快楽のほかにはなにも、{かれ}はそれからひきださないのに、{かれ}にとって必要なものとするのである」アダムスミス

  • liar_adan
  • ベストアンサー率48% (730/1515)
回答No.7

参加者(回答者)の便益がないとおっしゃいますが、そうではありません。 質問に対して回答することは回答者にある種の満足感を与えます。 お礼がもらえるから…というのもありますが、 そうでない場合でも、自分で満足ができた回答を書けたときは、一日気分がよかったりします。 というわけで、このサイトは、質問者側にとっては情報産業であり、 回答者側にとっては娯楽産業であるといえます。 で、運営者側にとっては、場を用意することで いくらかの広告料収入を得る、 いわば碁会所とかお見合い相談所と同様の機会提供事業といえるでしょう。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

参考程度に 皆さんの質問に対する多様な又は適切な回答を多くの方が見ることにより知識が増える。その知識はそれぞれが何らかの形で仕事に生活に役立てますね。皆さんがより良くなれば回りまわって回答者にも便益が生じますね。つまり個人的な便益ではなく、皆さんの行為が社会全体をより良く押し上げるという意味がありますね。金銭の授受や需要と供給だけが経済学ではありません。経済にも意識的な高低がありますね。需要の創造はいろいろな知識が必要ですね。より高みを目指してということが意識の中にあるのかも知れませんね。数学ができない経済学者はたくさんいます。経済のわからない工学者もたくさんいます。互いにいろんなことを質問したり回答したりすることで新しい道も開けますね。その新しい道が新しい需要を創造しますね。その新しい物による便益は回答者にも回ってきますね。経済的にはそんなもんでしょうか。

  • moqmoqmoq
  • ベストアンサー率53% (33/62)
回答No.5

質問に答える理由をあえて言えば機会費用で 説明できるかもしれません。 インターネットは必要な情報を検索できるメリット がある一方で,常に有用な情報を得ることができる わけではありません。どちらかというと,惰性でい ろいろなリンクをクリックしていることが多いです。 自分でもそういう傾向があることはわかっているの で,ネット上を放浪している合間に誰かの役に立ち たいと思ってここに回答を書き込んでいます。 つまり,放浪している時間は他人の役に立っていな いのはもちろん自分のためにもなっていないのです から,その時間の一部を誰かの便益のために使うこ とは,自分にとっての機会費用を減少させ,かつ, 知識を求めている人に便益を提供しているので,パ レート改善しているといえるのではないでしょうか。

  • shiro_002
  • ベストアンサー率13% (16/115)
回答No.4

わたし、ヒマなときはこのサイトで答えるようにしています。 自分の能力や経験が少しでも役立てばいいかなと。 経済学は分かりませんが、 私は善意に近いかな、ボランティアと一緒です。 以前、私が質問したときに丁寧に答えていただいたので、今度は自分がそれを他の人に行っています。 質問者の方は以下のように言ってますが >ボランティアにある参加者の社会的便益 私が質問するときにはよろしくね、って多少の期待をするのが社会的便益でしょうか。

noname#4109
noname#4109
回答No.3

こんにちは 経済学には くらいのですが、PFドラッカーが、 これからは、ひとは ボランティア的な物で 経済上のことでは 補えない部分を充足させ、 精神のバランスを取るだろう、成功していて報酬も充分ある会計士が 無料で 自分の時間を割いて 教会の会計を引き受けたりするような場合だ、 みたいな内容の事を書かれていました。〈私の記憶と受け取り方が間違っていなければの話ですが、、、〉 知識欲や、自分の持ってる知的資産を 無料でも良いからまわしたい、Shareしたい、と言う要求は 貨幣経済では説明ができないですが たしかにあると思います ボランティアも、そもそもは、自由意思でする物で、 社会で評価されるから、みかえりがあるから という理由なら それはすでにボランティアとは違う気もするのですが、、、? 娯楽や息抜きなども、経済とはあまり関連なさそうですが、必要なのと同じで、人間の活動で 経済で説明できる範囲のほうが少ない気がします 以上、個人的な意見ですので 正しいかどうかは ちょっとわからないです、、、。と言うことで、質問の答えは、 〈経済理論での説明は不可能だ〉と思う に一票です

  • papa0108
  • ベストアンサー率20% (348/1659)
回答No.2

おもしろい観点でのご質問だと思いました。 しかし経済学的説明は不可能かもしれませんね。 質問者は回答を得ることで満足する。 回答者は質問者に喜んでいただける、自分の知識の確認ができる、調べれば勉強にもなる、ポイントがもらえれば嬉しいなどといったメリットがあります。 ここに金銭の移動はありません。 それでいて双方が満足・納得しています。 ここに経済学的説明は不要ではないでしょうか? 質問量もこうしたサイトを頼る市場が今のところ適正な規模で存在し、回答者も偶然にも適度な規模・適度な水準で存在していただけでしょう。 仮に質問量が多く、回答が追いつかなければ満足できない質問者は去っていくでしょう。 また回答側が多すぎると、回答する時の自分の存在価値を確認できないために、回答しなくなっていくでしょう。 結局いい感じに落ちつくのかもしれませんね。 (これって経済学・・・ではないですよね) こんな考え方もあるということで、ご参考になれば幸いです。

  • izumokun
  • ベストアンサー率30% (1129/3679)
回答No.1

 自由意志について経済学的に説明するのは不可能でしょうね。たとえ、マルクスやマックスウェーバー、あるいはジョン・K・ガルブレイスでも。

interurban
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  集計的な人間行動に付いては推定できるのに、個人の自由意思に関係する個人行動に付いてはあまり強く断言できないのが経済学の弱みでしょうか。

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