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歴史:大将が討ち取られた場合についてです
お尋ねします。 戦さで、自軍の人数が圧倒的に多いにもかかわらず、大将が討ち取られると、軍が総崩れになるのは何故ですか? 戦国時代について書かれた歴史(日本、中国)の本などを読んでいますと、 大将が討たれると、自軍が多いにも関わらず軍が総崩れになります。 副将など他の者が指揮をとればいいのではないでしょうか。自軍の人数が圧倒的に多いにもかかわらず、何故これができないのでしょうか? 身分制の問題でしょうか? どうぞよろしくお願いいたします。
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戦国期、御大将とはいっても直属の兵力はそれほど大きいものではなく、配下の各武将ももとは、それぞれ自立した地方領主でした。 各武将の配下の兵士にしてみれば、奉公を励むのは直属の上司である武将であって、御大将ではありません。 武将にしても、小領主であっては自立するのが困難なので便宜的に御大将に従っている人もいた筈ですし必ずしも1枚岩とも限りません。 御大将が討ち死にした後、自身の独立を画策する人もいたでしょうし、反対勢力への転進や逆に後継争いで主導権を握ろうと考える人もいるでしょう。 そのように其々の思惑が錯綜する中、あえて命をかけて奮闘するよりも後途を図る。(という名目で)退却する人も居るでしょう。 戦いは心理的な要因も大きく、一度浮き足立つといくら兵力に勝っていても立て直すのは困難です。 特に信長以前の戦国大名の場合、兵員の大多数を徴用された半農半兵が占めていますから、なおのことです。 かえって小兵力(劣勢)であった方が、死に物狂いの精強な兵士の突進力に大軍勢でも対応困難な例が、関が原における島津軍の敵中突破が実証しています。
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- kimari14
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盟主盟友の関係の集まりだからです(中小零細の会社の集まり)。親会社がつぶれれば、それで散り散りです。親会社に取って代わっるなんてことはできないでしょうし、だれも認めません。戦場では割り当てられた持ち場が決まればそこで戦います。現代のような軍隊ではありませんから、主将がだめなら副将というわけにはいきません。事前に大将と決めた者が死ねば、そこで終わりです。重臣の誰かが指揮を執るとしても、従わすことは、とてもむつかしいでしょう。残された手段は一目散に逃げるだけです。 西三河国境紛争戦(通称桶狭間戦)で義元が打たれましたが、どうにもなりませんでした。あなたのおっしゃるとおりに、反撃をなぜしなかったかですが、大将がうたれるということは、大混乱なんですよ。とても とても、体制を再度整えてなんてことは、まず不可能でしょう。 さきほども書きましたが、極端にいえば寄せ集めですから義理もへったくれもないわけです。形勢の有利不利をいつも考えています。大将が打たれて、タダ働きなんかしません。直属の兵達は、面目がありますから 打ってでるでしょうが、負け戦、時すでに利あらずでしょう。
- eroero1919
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それは多分に精神的な問題です。心が折れてしまうと、戦う気力は失われるのです。 例えば、すごく惚れた女の子に告白をしたら不毛なまでに振られてしまったとします。もちろん精神的ショックは非常にデカいです。そんなときに友人から「合コンがあるから来ないか?お前好みの可愛い子がいるよ」といわれてハイハイといけるかっつうといけないですよね。 そういう場面で誰かが「弔い合戦だ!」とかなんとかいっていると思います。でも大多数の人々の心が折れてみんなが「家に帰りたい」と思ってしまうともうダメなんですね。 それともうひとつ。その軍勢が大軍であればあるほど「お義理」で参加している人が増えるということになります。そういう「お義理参加組」の願いはただひとつ「死なないこと」です。死にたくないから勝つと思われる大軍のほうに味方するわけです。それが大将が死んじゃったとなると、こんなところで巻き添えを食って死ぬのはまっぴらご免だとなります。大将が死んでいれば後で「なにお前勝手に帰ったんだ」と怒られる心配もありません。だから、命あっての物種と帰ってしまうのです。 大軍であれ、寡兵であれ、リーダー不在の集団は単なる「やられキャラ」に過ぎません。
- isa-98
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ざっとです。 武田信玄や家康が本陣で討ち取られていたら、 歴史は大いに狂いますよね。 現在で言うカリスマ的存在であった訳です。 天下統一の夢が徳川家の存亡の危機に早代わりです。 もちろん、家臣も身の振り方次第では家の存亡に関わる大問題です。 信玄の時代であり、家康の時代であった訳です。 家臣は信玄や家康(社長本人)について行ったのであり、 株式会社「徳川」に入社した訳ではないのです。 尼子氏のように、 親が「鬼のような強さ^^;」であったにも関わらず、子は、 録を削ってまで兵糧を城に送っていた家臣の謀反の噂を信じて 斬首してしまい、滅ぶような愚かである場合もあります。 当時は録をもらえるから家臣は服従していたのですが、 仕事をすればする程、互いの信頼関係も強くなります。 もちろん、出世出来なかったり認めてもらえない。 引き抜きなどで出奔する人間も出てきます。 家康の領地拡大には、家臣の働きが不可欠であったでしょう。 家臣あっての家康であり、家康あっての家臣です。 どちらが欠けたとて大問題となったわけです。
- tadagenji
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その時代の戦争は、自分の働きを大将に認められて加増や新たに土地を貰うことが目的で兵卒がついてくるのです。 その大将が討たれたら、褒美を貰う相手がいなくなるので総崩れになるのです。 命あって物種です。 次は勝てそうな大将を選ぼうと考えているのでしょう。