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中世スコラ哲学

今日学校で、中世スコラ哲学は真空を嫌ったと聞いたのですが何故なんですか?気になるので誰か教えて下さい。

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  • ri_rong
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回答No.2

>スコラ哲学と真空に関することを  これなら、書けそうです。アリストテレスの書物で、真空について書かれている、いちばん有名なものが先に書いた『自然学』です。この著作がどのように中世世界へもたらされたかはとても重要なんですが、ここでは「真空」についてのことだけに的を絞りたいと思います。    問題点は大きく、ふたつありました。ひとつは空間に関するもの、それともうひとつは運動に関するものです。前者でいう真空は、「空っぽ」を意味します。物質をどんどん細かくしていって、もうこれ以上細かくすることのできない最小の粒子というものを想定したとき、その粒子が占めている場所のことです。デモクリトスらは、粒子が占めている空間と占めていない空間(要するに空っぽの場所)があると主張しました。これに対し、アリストテレスは空っぽの空間は無いと言ったんですね。  後者でいう真空は、そもそもの言説に由来します。  アリストテレスの主張はこうです。万物は四元素(火、土、水、空気)から成っているが、ある空間を占めるそれらの元素が、もしもその場所から別な場所へと移動することがあるのだとしたら、もとあった場所を埋めるような何か別の元素がなければならない。そして四元素のうち、どれもが占めていないような場所があるのだとしたら、そこを埋める五番目の元素(アイテール)があるはずだと考えました。世界には、目に見えない液体のようなアイテールという元素が満ちていて、そのなかを四元素が漂っているというふうに考えたんでしょうね。どうしてこのように考えたか。  理由のひとつは、天体の運動だと言っています。  空には天球というものがあって、惑星は天球の運行に引き摺られるように動いていると考えられていました。天球には穴が空いており、その天球のさらに高みは輝く光で満たされている。穴からこぼれ出るその光は、恒星と呼ばれました。天体の運行は、このように天球(恒星)と、それに引き摺られている惑星の二種類あると――こういう考えがあったんですね。天球が回ると、それに連れて液体のようなアイテールも回るから、なかに浮かんでいる惑星も、それらの後をついて来るように回るというふうな理屈です。実際に夜空を見れば、背景の星空と手前にある星の動きが、互いに関係を持ちつつも、別々な動きをしているのがわかると思います。    アリストテレスはミクロの世界も、天体の運行と同じだと考えたわけです。  そして、重要なのは惑星が天球に「引き摺られている」と表現したことであり、夜空を見上げるとそのように見えたということでしょう。惑星は天球に引き摺られている以上、ある場所を占めることはあっても、自らその場所を動くことはないわけです。言い換えると、元素の占める空間は運動を伴わない。  空間はあくまで場所でしかないという考え方がひとつ成立します。  それに対して、天球はどうなのか? という疑問があります。不動の場所を占める天球は、自ら動いている。ボエティウスの三位一体論注解を書いたトマスは、三つの位階はひとつであると主張したように、それは位階(概念)の問題であって存在の問題ではないというふうに、アリストテレスを離れて神の存在問題へと傾倒してゆきます。  空間と運動はひとつの場所を占めるというスコラの一派の主張に対して、別なスコラの一派は、最後までひとつの空間をふたつが占めることはないと主張していたわけですね。スコラにとって、真空問題はとても重大なものひとつで、天体の運行、神の存在、そして概念つまり形而上学の分野で、たびたび議論に上ります。  大まかに書きましたが、これがスコラ哲学と真空との関係だろうと思います。  中世以後、アリストテレスの真空問題から、コペルニクスは「引き摺られている」と表現されたその理由付けに地動説を見つけました。またニュートンは、なかに水を溜めた桶を回転したときに水がどのような動きをするのか(摩擦抵抗や慣性の力)を眺めつつ、運動の法則をまとめ、アインシュタインはニュートンの記述を参考に、相対性理論を考えた。中世以外の時代であれば、アリストテレスの真空についての言説は、とても大きな遺産を残したと言えそうです。

razioman
質問者

お礼

また回答がつかなかったらどうしようかと心配していましたが、こんなに詳しく書いていただいてどうもありがとうございました。 また今後は今回の経験を生かして回答がつきやすいような質問をしようと思います。

その他の回答 (1)

  • ri_rong
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回答No.1

 気にしつつずっと待っていましたが、悩ましい質問だからか、なかなか回答がつきませんね。  回答がつかないのはたぶん、ふたつポイントがあると思います。  まず、このカテゴリーに回答する方々は、スコラというのがアリストテレスの学問を指すことをご存知です。さらに『自然学』(216b6~21)に記述される、何物も占めないような空間は「自然は真空を嫌うから(cum vacuum natura non patiatur)」ない――ということも、よくご存知です。けれども、 (1)なぜこの質問者は、「中世」という表現を加えたのか? (2)さらに、その表現を加えるということは、トマス・アクィナスやボエティウスが『自然学』について、どのような注解を加えたかということを、答えよ。  というふうに、理解されているからなのでしょう。  老婆心ながら申し上げるとこれ、一昨年来、ちょっとホットな話題なんです。基本はトマスの『元素の混合について』に述べられる複合的な元素の力能問題ですが、初期スコラのこの考えは、13世紀末期のタンピエの禁令を境にして次第に異端視されてゆくんですね。  反論としては、容器に力能は要らないということで、アリストテレスの解釈を容器ではなく、「概念」の問題だというふうに、まさに質問文にお書きの「何故なんですか?」の理由付けの部分が、様相を変えてゆくのです。それを「中世スコラ哲学は」というふうにお聞きになるから、  「ちょっとそこの奥さん、例のあの問題、そろそろどう決着が付いたのか教えてくださいよ」  というふうに、まさに浮気の行く末を聞くような感じで問われると、小心な回答者としては、あまりの事にびっくりしてしまって、固まっちゃうんだと思うんですよ。だからもう少し、ソフトに訊いてくださると、なけなしの噂くらいは皆さん、ちゃんと話してくれると思いますよ。

razioman
質問者

補足

なぜ「中世」と言う表現を加えたのかと言われると、大学で先生がそのように言っていたからで、特に深い意味はありません。でももしそれで回答がこないのなら、スコラ哲学が真空を嫌った理由を教えてもらえませんか。それともこの質問でもこないのならスコラ哲学と真空に関することを何か教えてもらえませんか。わがままですみません。

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