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大政翼賛会について

第二次世界大戦後の最後の帝国議会まで大政翼賛会は存在したのでしょうか?

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  • kusirosi
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回答No.2

大政翼賛会参加代議士の衆議院院内会派・翼賛政治会が 党内抗争の収拾つかず、昭和20年3月、解散。 大日本政治会(終戦直後、昭和20年9月7日に解散)など、いくつかの新党に分裂。 (戦時中に党内抗争かよ(‥;) 上部組織、大政翼賛会自体も、昭和20年6月、 本土決戦のための民兵組織・国民義勇隊に吸収され、解散した。

noname#143017
質問者

お礼

ありがとうございます。

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回答No.1

大政翼賛会を中心に太平洋戦争下での軍部の方針を追認し、支える体制を翼賛体制という。1942年の総選挙では翼賛政治体制協議会が結成され、定員466と同じ466人の候補者を推薦し、全議席の81.8%にあたる381人が当選した。 1942年6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の6団体を傘下に統合した。その後、1945年3月に組織の一部が翼賛政治会を改組した大日本政治会と統合され、6月に本土決戦に備えた国民義勇隊結成により解散となった。だが、この統合解散が政府首脳と軍部による強引な統廃合であったために、これに反発を抱いた翼賛政治会の一部が護国同志会などを結成して軍部と結んだ大日本政治会に対抗するなど混乱をきたし、その収拾がつかないまま、日本は終戦を迎えることとなった。

noname#143017
質問者

お礼

有難うございます。