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大政翼賛会の失敗とは?
- 大政翼賛会の形成が頓挫した理由とは何でしょうか?
- 大政翼賛会の議論の必要性とは何でしょうか?
- 現在の議会での必要な議論について考えてみましょう。
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No.5です。するどいご指摘をいただきました。ありがとうございます。 >戦時体制だったから、軍部の発言力が増したのだ、と思います。軍部を悪者にすることで解ったような気がするのは、問題だと思うのですが。 →おっしゃるとおりです。紋切り型の文句で思考を端折ってはいけないという典型ですね。 大政翼賛会を構想した当事者たちに本心から軍部の「暴走」を押さえる目的があったのだとしても、現実にはより良く戦争を戦うための組織であるとしなければ実現しなかったのだし、国民の多数はそのような組織であると見なし、かつ実際にそのための組織として成長発展したのですから、たしかにわたしの書き方では事実の片面しかとらえていません。 軍隊というものはどこの国でも独自の判断で動きたがるものだと思いますが、どこまでそれが許されるかはその時々での条件(人物も含めて)によって変わるのでしょう。なかでも、実際に戦争を戦っているかどうかは大きな要因になるのだと考えます。国力の少なからざる部分を傾注しなければならない戦争を長期に、大規模に戦う軍隊を、政府や議会が掣肘するのは難しいだろうと想像がつきます。 体制側が戦勝の目的にかこつけて権力機構の安定のために強力な軍隊を望み、その結果軍隊が肥大化して体制側に己の意志を押しつける。この状態から振り落とされないためには軍部に先んじて軍部の意志をかなえることが必要になる。それがさらなる軍部の強大化をもたらす。まさにニワトリとタマゴの関係です。 スターリンや毛沢東はその過程をあまりにも過剰な政治性で抑え込みました(好ましい事態でないことは言うまでもありません)が、逆にいえばそこまでしなければ軍部を管理統制できなかったのかもしれません。少なくとも、当人たちはそう信じました。 戦後の開発独裁までを視野に入れても、おくれて近代化に乗り出した諸国では、みな強力な軍隊に支持されたシンボリックなカリスマ的指導者が現われます。軍部に依拠しながら軍部を支配下におき、権力の象徴として国民の前に立ち現われる人物です。どこまでそれが独裁的権力を握るかは一概に言えませんが、権力が具体的な顔を持つことがどうしても必要なのでは、と考えます。 その点、日本はどうだったかとふり返れば、東条英機ではどうにも役不足です。明治の元勲たちはまだその資格がありそうですが、彼らが退場するにつれ軍部の統制がきかなくなっていったのは単なる偶然ではないのかもしれません。この辺はあまり根拠のない妄想ですが。 大日本帝国とは多義的な存在ですが、あえてひと言でいえば全国の郷党的むら社会を、神権政治的な装いをまとった「天皇」を建前とする中央集権的官僚制であったのだと考えます。軍国主義は本来その一側面にすぎませんでした。 しかし、官僚制の特質がその無個性な専門家ぶりにあることを思えば、官僚機構にできることは基本的に状況の追認であって全体の構想には向かないのでしょう。戦前の左翼運動は草の根の支持を広く得ることができなかったのですから考慮におよびません。本来、これを担えたのは制度的にも天皇だったのでしょうが、現実にそのような展開はたどりませんでした。議会政治家たちは言うまでもありません。「民度」という言葉は使いたくありませんが、やはり国民の政治的意識も力不足であった面は否めません。 遅れて近代化に乗り出した国ではどこも軍事に偏重した政治体制をとるものですが、だからといって必ず侵略戦争に乗り出すわけではありません。しかし、なぜ日本では違ったのでしょう。もちろん時代状況は大きく作用しますが、わたしはこの顔のない、つまりだれも責任をとらない(引き受けない)体制にも原因があったのではないか、と考えています だから、結果的に明確な意志を有した一部軍人が事態を左右することになったのではないでしょうか。政治的意志の空白を軍国主義が埋め合わせたのだと言えるかもしれません。 2.26事件で昭和天皇が発した明確な意志に軍部が対抗できなかったことはその傍証になるのではないでしょうか。天皇という個人に頼らず政治家がこの意志を保持しつづけ、国民がそれを支持したなら、事態はまた変わったのでは、とも想像します。 近代国家(国民国家)の形成は近代の総力戦に応えるためだったというのは、まさしくそのとおりと考えます。あと、要件には近代産業の育成(工業化)も入れたいです。 にもかかわらず、英米仏では比較すれば日本ほど軍部が政治的な力を持ちませんでした。少なくとも、現地部隊が勝手に戦争を始めてそれを追認するしかないような状況はありませんでした。これら諸国では戦争を戦っても日本ほど国力を傾注しないできたので、相対的に軍部の力がそこまで伸びなかったことと、国民を含めて政治の領域で試行錯誤をする時間があったことが原因と考えます。 戦後の開発独裁の諸国では、やはり米ソの二代超大国が抑え込んでいたことが一番の原因でしょうか。 してみると、ドイツはまた変わり種ですね。ビスマルク、ヴィルヘルム2世、ワイマール体制、ヒトラーとそれぞれの時代ごとの検討、時代間の因果関係など、近代化論で分析した研究はないものでしょうか。 結果的にわが国の大政翼賛会は軍部に対して無力であるどころか助力し、補完した事実は、やはり最終的な破綻が歴史的必然であったことの証明なのかもしれません。しかし、悲劇が必然であったとは思いたくないものです。 ありうべき別の道はなんだったのでしょう。どうすればあの破綻が避けられたのでしょう。単なる懐古趣味ではなく、現代の生々しい問題意識だと思います。 日ごろ目先のことに追われておりますなかで、こういう長期的なスパンで物事を考えるきっかけを与えていただきありがとうございます。 近代化論はあまりはやっていないと思うのですが、久々に勉強してみたくなりました。
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- sync-mag
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民主党と自公の大連立に対する当否はさておき。 >今の議会を見ても、必要な議論など全然無いように見えます。 →お気持ちはよくわかります。 テレビカメラが入っていないときはもう少し実のある議論をしているともいわれますが、たしかに時間と金の無駄と思うことは多いですね。しかし、昨今の政治に大政翼賛会を連想する人が増えているということは、日本の政治が危機的状況におちいっている、あるいはおちいり始めていると考える人が増えていることでもあります。 大政翼賛会にいたるざっくりとした流れはこんな感じでした。 いわゆる大正デモクラシーの時代に、議会で多数をしめた政党が政府を構成する政党内閣制が定着し、政友会と民政党が二大政党として政権交代をくり返すようになりました。しかし、1929年の大恐慌以後の世界的な経済不況、国際環境の流動化を前に、政党は相手党派を倒すことばかりに夢中になって事態に対処できない、と世論は見なすようになります。 ただし、他の方も名前を挙げている高橋是清のように信念と見識をもって政策課題に取り組むよりも、目先の人気取りに走るほうが票につながったという現実もあってのことですので、世間の側にも問題はあったのです。この辺はいまの政治状況を説明しているような錯覚をおぼえます。 議会の政党側の弱体化と軍部の影響力の伸張がともなって進んだ結果、政府自体が主体的になにかを決めることができなくなっていきます。政府が議会を支持基盤としてあてにできなくなり、軍部の意向に振りまわされる、あるいは軍部を押さえられなくなってしまったのです。あとはあいまいな「国民的人気」を頼りにしたりしましたが、これがまた目先の都合で一喜一憂する事態にまねきます。 このような状況を打開するために構想されたのが「大政翼賛会」でした。主導した近衛文麿とそのブレーンたちの目的は議会の圧倒的な支持をもとにした強力な政府を作ることにあり、関東軍に代表される軍部の暴走を制止する意図もあったと聞いています。そして、そのためにすべての政党を糾合し(賛同しないものは解散させ)、各種の団体・結社をその下に結集させて、国民総動員体制の構築を目指しました。 これのなにが問題だったのかと言えば、他の方も指摘しているとおり、 >国論が一致しているときには という状況が現実にはありえないからです。 国民の世論がいかに一様に見える状況があったとしても、ひとりずつを見てみると結構多様な考え方をもっているものです。戦勝の報せに喝采を叫びながら、わが子の無事な帰還を願って一刻も早い戦争終結を祈ったりします。 だからこそ、議会には多様な意見を反映した、多様な党派が必要になるのだと思います。「国論が一致している」のは異論が唱えられない状況にすぎないのですから、まったくもって好ましくないです。その時々で異論を唱えにくい主張というのはあるもので、全面的に賛成していなくても賛成せざるをえない状況が生まれたなら、だれも表だって反対を唱えられなくなります。 最終的には、大政翼賛会にしたって戦争遂行(異論封殺)のための機関にしかなりませんでした。 ひるがえって、だから民主党と自公民の大連立はいけないのだとまでは即断できません。他国ではしばしば右と左で大連立を組むこともありますから。問題は、そのような連立政権を国民は選んだおぼえがないという点でしょう。もっとも、選挙をしたところでどうせ人気取りしか口にしないだろうけど、と見すかされている点も問題ですが。 じつはその点、野田首相はまじめに政策課題に取り組んでいると個人的には評価しています。ただ困ったことに、その方向性にはあまり賛成できないのですが。 回答を打ちこんだところでプロフィールを拝見し、人生の先輩であることを知りました(当方史学科卒の40代です)。先達に向かって「教えます」調の書き方はあまりに失礼でした。お詫びいたします。
お礼
お礼欄を使うのは、不適当なのですが、補足を書いてから、私の論に飛躍があったことに気がつきましたので、ここで追記します。 回答者さんが、別回答で、ロシア革命を近代化の一環と書かれた事、明治維新という日本の近代化の性格について、同様に捉えておられ、それに私も同感したことを思い出して書いたものでした。 私は日清戦争以来50年間の戦争を、日本の近代化に伴う間違いだ、という歴史認識を持っています。 例えば天皇制は、開発独裁と理解しています。 近代化ということを、国民国家形成、民族意識の覚醒、民主主義の導入、中央集権国家、総力戦、軍国主義、として理解しております。 これらの大部分の要素が、ロシア革命、中国革命で見られるだけでなく、英仏独米伊すべてで見られる近代化の姿だという見方なのですが、ご意見を頂ければうれしく思います。 大政翼賛会を歴史の必然の現象として私は見ています。 そしてその同じ現象が今起きている、だから警戒を要する、という見方です。
補足
軍部が暴走して、戦争になった、というような見方ですが、私はそれは逆だと見ています。 日清戦争(1895年)から50年間のべつ幕なしに戦争をしてきて、行き着いたのが日米戦争で、その総力戦を戦うために、大政翼賛会が必要になった、と私は考えます。 戦時体制だったから、軍部の発言力が増加したのだ、と思います。 軍部を悪者にすることで解ったような気がするのは、問題だと思うのですが、いかがでしょうか?
- covanonki
- ベストアンサー率48% (219/448)
私は経済的な視点から・・・。 大政翼賛会が結成される4年前、「高橋是清」という人物が暗殺されています。 彼は世界中が世界恐慌による衝撃で深刻な経済不況に襲われる中、日銀による国債の直接買い取りという手法を用いて日本をその余波から救いだし、全世界で最も早くデフレ不況から日本を立ち直らせ、経済を回復基調に乗せました。 彼が暗殺される前には、ほぼ彼が政策に込めた目的は達成されていて、インフレが過熱気味になりつつあったので、是清は今度は財政の引き締めに入ろうとしました。 今であれば、国が手に入れたお金を公共事業などに投資して経済の活性化につなげるわけですが、当時もっとも効果的であったのは公共事業よりも軍部。つまり日銀による国債の直接買い取りによって手に入れたお金を、是清は軍部に投入していたのです。 インフレによる経済の過熱を抑えるため、緊縮路線に転じるということは、すなわち軍部に対して投じる資金を引き締めてしまうということ。 このことにより、彼は軍部からの恨みを買い、暗殺されてしまいました。 その後、軍部に対する資金の投入を国債発行によって行う、という流れにストップをかける存在が居なくなった、という流れです。 また、外交的には日本のみが経済回復をし、石油を手に入れるため、貿易による外貨の獲得を狙ったのですが、アメリカやヨーロッパ諸国の嫉妬を買い、ブロック経済政策→ABCD包囲網→ハルノート→開戦という流れで進んでいきます。 私、政治的な流れはまだ勉強不足ですから言及しませんが、歴史上のifから言うと、もし是清が暗殺されなかったら・・・と、そのように感じています。 ブロック経済政策やABCD包囲網を考えると、今のTPP問題を彷彿とさせます。 貿易による海外進出政策は確かに間違っていなかったかもしれません。ですが、是清なら、もう一つ何か別の政策をかませたんじゃないか、って思うんです。 日露戦争の時も英国と交渉し、米国の眷属からロシアと戦争するための資金を取り付けた人物です。外交にもずいぶん長けた能力を持っていたんじゃないでしょうか。 今の政治を見ていて、何が足りないか、っていうと、そんな「是清」に相当する存在がいないことに問題があるのではないでしょうか。もしくは、自民党側にそれに近い考え方を持った人がいたとしても、与党の側がこれを理解しようとしないことに。 >今の議会を見ても、必要な議論など全然無いように見えます。 というのは、一面的な部分しか今の政治を見ていないからそう思うのではないでしょうか。 http://www.nicovideo.jp/watch/sm18328980?mypage_nicorepo ↑こちらは参議院における予算委員会の一場面です。これを見て、本当に「必要な議論など全然ない」と感じるでしょうか。 私は議論しなければならないところばかりだとしか見ることが出来ません。 やっぱり民主党主導で政権運営を担っていくことは非常に危険だ、と。
お礼
ありがとうございました。
- ycan
- ベストアンサー率22% (39/174)
歴史の専門家ではありませんが、一言お話しさせていただきます。 大政翼賛会は好ましいものではなかったという点については疑いようがありません。アメリカが日本をたたきたかったことは間違いなかったと思いますが、日清戦争以来の日本の対外侵略は、それ以上に好ましいものではありませんでした。 経済は何十年かに1回はどうにも立ちゆかない状況になるようです。その際どのようにしてその苦境から立ち直るかは、世界大恐慌の原因分析がいまだ明確ではないように、難しい課題です。 しかしその状況を我慢するか、他国を侵略してでも経済状況を好転させるかは、もう議論の余地はないでしょう。 大政翼賛会は治安維持法、国家総動員法とタイアップしたものです。国民の意見を封じ込める役割を担ったと言えます。 国論が一致するなんてありえないことで、2.26事件の際にも勇敢に国会で政府の対応をを糾弾した議員がいたのです。また戦後首相になった石橋氏は小日本主義といって、日本は自国の植民地を率先して解放すべきだと主張したのです。 日本人が今後生きていく道をどうするかは、それぞれの人が真摯に考えていかなければなりません。現在の国会議員がふさわし役割を果たしているように見えないかもしれませんが、それは国民の意識の裏返しにすぎません。私たちが自分たちの置かれている状況を他人任せにせず、真剣に行動することが大切だと思います。 さまざまな失礼をお詫びします。
お礼
ありがとうございました。
補足
>国論が一致するなんてありえないことで・・ これについてですが、国民国家が出来て、総力戦を戦うときには、戦争という点については国論は燃え上がって、一致します。これが軍国主義です。 石橋湛山はを私は尊敬、尊重していますが、極々少数意見でしかありません。 つまり政党を作るだけの力はありませんでした。 現在の日本に石橋湛山が生きていたら、何を言ったか?と考える必要があるように思います。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
”「大政翼賛会によって、戦争が起こされた!」というような印象操作を行っていますが、 具体的にどんな悪い現象が起こったのか?教えてください。” ↑ 反対政党が存在しなくなり、政府の行動にブレーキをかけられなく なった、ということだと思われます。 しかし、あのとき、大政翼賛であろうが、なかろうが戦争は起こったと 思います。 米国歴史学の第一人者チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授(1874~1948年) は、あの戦争はルーズベルトが無理矢理日本を戦争に引きづり込んだものだ、という ことを公文書から明らかにしています。 31代米国大統領フーバーは、ルーズベルトを、日本を戦争に引きづり込んだ 狂気の男だった、という書見を残しています。 当時の米国は、大不況の真っ只中で、GDPは半分に落ち、株価は1/10に 暴落し、街には1200万の失業者が溢れ、あちこちで暴動が起きていました。 ルーズベルトは、ニューデールなど色々な対策をしましたが、効果は出ません。 このままでは体制は崩壊しかねません。 それで、どうしても戦争をやる必要があったのです。 戦争こそ最大の公共事業だからです。 そのお陰で、戦後、米国経済は見事に立ち直っています。 それでは日本は、ハルノートを呑み、膝を屈すれば戦争を避けることが出来た でしょうか。 そうは行かなかったと思われます。 米国の戦争の歴史をみていますと、疑惑ばかりが目につきます。 米西戦争では、1898年 2/15 ハバナ湾で、 米国戦艦メイン号が謎の爆発を起こし沈没するという事件が発生し 米兵266名が死亡しました。 これはスペインの仕業だ、ということになり世論が激高し、戦争に なりました。 ベトナム戦争ではトンキン湾事件というのが発生しています。 これは1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の 哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した とされる事件です。 これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入したのですが、 その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し これが米国のやらせであったことが判明しました。 湾岸戦争(1990年)では、 アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーは イラクのクエート攻撃に対して 「米国は介入しない」と発言しましたが、 これを信じたフセインがクエートを侵略して、当の米国軍により撃退され ています。 その他にもテキサスとの戦争やら、フイリピントの戦争やら 怪しいモノが沢山ありますが、真珠湾の疑惑もその一つです。 このように、日本がいくら戦争を回避しようとしても、米国がそれを許さず 必ず何かの罠をしかけ、戦争に持っていったと思われます。 つまり大政翼賛云々は、日本を悪者にしたい口実でしょう。 ”議会で議論が行われなくなって、民主主義が機能しなくなった、 などといっていますが、国論が一致しているときには、 議論のための議論は必要ないと思われます。” ↑ それは一理ありますね。 民主制だったら、戦争が起こらない、なんてことは有りませんから。 そもそも、侵略戦争を始めたのは、民主制国家である欧米です。 ヒトラーは、まさに民主制が産みだした政治家です。 現代の人は、民主主義教の信者ですから、民主制は素晴らしい、と 無批判に思い込んでいます。 だから、大政翼賛会も無批判に批判するのです。 ”今の議会を見ても、必要な議論など全然無いように見えます” ↑ 全く同感です。時間と議員人件費の無駄です。 あんな議論をするために、政治家を輩出しているのかと思うと 情けなくなります。
お礼
ありがとうございました。
補足
>ヒトラーは、まさに民主制が産みだした政治家です。 この考えに同感です。 戦争責任はアメリカにもある、という考えに賛成ですが、日本には責任は全然無いというのは、行き過ぎだと思いますが、いかがでしょうか?
- seble
- ベストアンサー率27% (4041/14683)
人間なら、3人よれば派閥が生まれるというぐらいで、反対意見の存在しない民主主義は有り得ないと言われています。 戦前、戦中は、大政翼賛会によって反対意見は完全に封じ込められていました。 戦争反対すれば特高に逮捕されて拷問されたあげく殺されるのですから、反対なんてできっこありませんし、した人間はみな刑務所か墓の中ですから表だった反対意見など存在できません。 国論が一致していたように見えるのはそういう訳ですから、実態は暴力と嘘で塗り固めた国論です。 ま、俺が革命を起こしたら、右翼やら何やらはみんな逮捕してシベリアへ送っちゃいますから、そうなればどういう事が良く分かるでしょう、、がはは。 今の議会は政党政治であり、過半数を占めた政党が牛耳っています。議会へ載せる前に、すでに党内で意見調整が行われているので、議場はあまり意味のない物になっています。野党が説得力のある演説を行っても、与党議員は党の決定に逆らえませんから結果は同じになってしまいます。ごくまれにそうでない場合もあるようですが、本当にごくまれかと思います。 日本はあまり議論が上手でないので、どうしても裏での話し合いで決着を付けてしまいがちです。欧米でも同じようなものですが、それでももう少し個人の人格が尊重され、反対意見も受け容れる素地があるように思います。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 またそのうちよろしくお願いいたします。 >現地部隊が勝手に戦争を始めてそれを追認するしかないような状況はありませんでした・・ これこそ日本の軍隊の特徴だと思われます。 現地暴走というのは、軍隊の常識として、あってはならない、刑事事件です。 そういう暴走は軍隊を無力にしますから、きびしくとっりしまられ、絶対に起こらないのが常識です。 こういう常識が日本には無いようです。 つまり軍隊を持つ資格が無い国だと思います。