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ローマ帝国とその時にあった中国王朝はどちらが文明的に進んでいたのでしょうか
ローマ帝国とその時、中国で存在した漢や唐などの王朝を比べるとどちらが文明的に進んでいたのでしょうか。 なにを持って比較するかでどちらが上か変わるでしょうが、比較しにくい場合は双方の優れている所、劣っていた所を教えていただければ大変有難いです。 ただ、自分はどうもローマ帝国の方が進んでいたように感じます。何故なら、整備された上下水道や議会といった政治制度、コロッセオといった娯楽の充実を聞くと、どうもローマの方が進んでいるように思います。 中国ではそういったものは聞いたことがありません。世界史に詳しい方はこの事をどう思われますか?
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ローマ帝国と中国の文化を比較する上で考えるべき点が いくつかある。文化的な遺産で判断するのは限界がある と判断します。なぜならば、その後の世界で文化的な 遺産を乗り越えるだけの遺産を建造できなかったという 技術的、経済的な事情があった。この点を考えれば、 ローマ帝国の偉業を後世に伝えられなかった。 その中で、為政者側からの記録しかないのが中国で、 為政者と非為政者の両方の立場で記録が残っているのが、 ローマ帝国の時代です。 両者も最盛期には平和をもたらしたことでは優れている ものの、後世に継続させる力を考えれば、ローマ帝国に は皆無で、中国では存在していた。 だから、どっちも一長一短があります。
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- marocoro00
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再度の横やりですいません。 国家統一(統合)の件で少し補足があります。 大変残念な歴史ですが人類史上、無血で統一、統合ができた事は少なく、いま現在においてもチベット問題、モンゴル自治区問題他山積みです。ドイツ統一やペレストロイカのが稀有な事例です。 ひとつに現代ほど人権が無かった事や政権と宗教の複雑な絡みなどがあります。 アフリカの地図を見て下さい。 きれいにまっすぐに線が引かれています。 1898(パクパクの年と私達は覚えましたが)年頃に奴隷の権利を区分けする為に引かれた線がそのまま国境になりました。 民族も文化も関係ありません。ただの労働力の確保として領地を欧米が分配しただけです。 同じ事を古代ローマも古代中国もしていました。 権力を握っている民族以外には人頭税や通行税といった重税がかけられていました。払えなければ公開リンチや身売りもありました。 日本の参勤交代と同じで「財源が無ければ反乱を起こせない」のです。 アフリカで奴隷を引っ立てた商人も銃などを用い力で抑えつけていました。 それまでの生活をめちゃくちゃにされた挙句に干ばつも重なり独立戦争を頑張ってはみたもののいまだに貧困から抜け出せていない状況です。 実は歴史を学ぶと先に見栄えのよい部分が目につきます。 わかりやすい歴史書では暗黒部分はあまり触れないようになっています。 華やかな貴族文化の陰で重税に苦しみ、ジャガイモに塩しか食べられず、母乳が出ない為に干からびた赤ん坊がどれだけいたか、という事には触れませんからね。 歴史を理解するには底辺も知っておくとよいですよ。
- marocoro00
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ちょっと横やりですが。歴史の中でもよもやま話が好きなので回答させて頂きます。 そもそも論として【木の文明】と【石の文明】を比べる事ができません。 卵しかないのにステーキを作れと言われてできますか? 肉しかないのに目玉焼きを作れと言われてできますか? 優劣を付ける場合はある程度の同じ条件が必要です。 土壌が違うので起点(初期の基準)と到着点(文字、法律、宗教等のどのレベルを文化・文明とするか)を事細かに分類せねばなりません。 そしてそれらはいまだに考古学でも「100%正しい」ということはありません。 なぜなら残っている文献等ですら後世のねつ造が多く、完全再現の為に組み立てるパズルの欠けた部分は「推理、想像の範囲を出れない」のですから。 これでは回答にならないので少しばかりご質問者様の認識に補足を。 ・上下水道 パックス・ロマーナの崩壊に「石組みの整備」が原因という説があります。その説によれば最大の問題となったのは「轍」です。 石組みの上を200年という長い月日を馬車が通り抜けた結果、深い溝があちらこちらにできてしまいました。(しかも馬車も戦車も規格が統一されていないので複数の轍) 文明の発達にインフラは絶対に欠かせない条件です。 戦争時に最初は迅速に動けた馬車や戦車も、経済が発展する為に必要な輸送も滞りやすくなり、また事故も格段に増えたそうです。 これに対し中国では万里の長城に代表されるように、道の両脇にデコボコを設けて馬車や荷車はそこを通りました。 ローマ時代の道路はほとんど残っていないのに中国が残っているのはこの為です。 メンテナンスのし易さが全く違うのが決定的な理由でしょう。 電気の無い時代です。昼間しか作業ができないのに全面通行止めで作業するのと道の脇で補修だけでは進捗が相当違ったでしょうね。 上下水道も後期は陥没、破裂、崩壊が数多く補修が間に合わなかったそうです。作るという点ではローマが優秀かもしれませんがメンテナンス面では中国が優秀だったという事になるかも?。 ・議会といった政治制度 こちらは割愛。いまの日本然り世の中平和だと政治家が腐るのは世界共通。ローマでも中国でも国家予算に匹敵する賄賂を受け取っていたのは何人もいますよ。最大で8年分の国家予算並みの賄賂を蓄えた人いましたし。いまに換算すると数百兆ってとこですかねぇ。 もっとも中国は政治権力が強い代わりに官吏(日本でいう官僚みたいなもの)を自腹で雇わなければならなかったので賄賂が無かったら立ち行かないという矛盾もありました。 ・コロッセオ んー。これは私が女性なせいかあまり好きな文化ではありませんねぇ。 10代20代の男性がどちらか死ぬまで戦うのが娯楽とは思えませんし。 おまけに逃げたりすると生殖器をチョンっと切るとか。 ちなみに戦う人は志願者の他にランダムでした(時期によって違う) 勝者にも神の下へと死を賜る事もありましたし。 舞台や観劇に使われ始めたのはだいぶ後ですよ。 麻が主流でシンプルな白い衣装だったヨーロッパと絹が取れて染色ができたアジアの鮮やかな民族舞踊とでは、それぞれ個性があって素敵だと思います。 それと唐の時代ですと日本の平安文化に色々影響を及ぼしてますね。 「唐渡り」というのですが美しい陶器や模様等の技術はこの頃に輸入されたものです。真珠の粉を練って義歯を作ったりという技術まであったのですよ。つづれ織りなど日本のお祭りに影響がある装飾品もずいぶん輸入されました。 唐草模様は有名じゃないかな。 最後に蛇足で。 いまの中国は56もの民族からなる連合体です。当然56以上の文化文明があります。冒頭の通り優劣を付けるのは好みませんが比べるのであればまずは56の民族の文化文明から調べていくのもよいのではないでしょうか。 歴史はおもしろいですよ。たくさんの諸説や仮説から自分なりの楽しみ方を見つけて下さいね。
お礼
回答有難うございます。 自分の浅い疑問からの質問で、これだけ答えてくれて有難うございます。 ローマが崩壊したのも公共工事に金がかかり過ぎたのにあるというのは聞いたことがあります。
- akik
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私の私見ではないです。歴史書に記載されている事柄です。 古代ギリシャは哲学で統治を行った。物理学が数々の歴史的な建造物の建築を可能とし、美の追求も同時に怠らなかった。また、社会インフラの充実に貢献した。 しかしながら、哲学は難しすぎるので、万民に受け入れられなかった。だから、都市国家という表現で誤摩化しているが、ローマ帝国のような統一国家の誕生には至らずに、分裂が続いた。 そして、意識していたのか、無意識のうちにか、ローマ帝国の誕生は、ギリシャの失敗を充分に理解していたのかは定かではないが、法律による統治を行った。これは誰にでも非常に解りやすいのです。(この部分は古代の中国と同じ現象です) 古代ローマ時代の建築物や芸術的創造物はギリシャ人が担ったものが多く、実は古代ローマ人は統治者と軍人の役割でしかなかった。末端の諸事は、ギリシャ人などの外国人が担っていた。(この部分は古代の中国と同じ現象です) ローマ帝国の時代は法律が整備されていたので、外国からの技術を容易に導入することが出来た。これは帝国の滅亡後、30年戦争後のウエストファリア条約締結まで復活することはありませんでした。理由は、キリスト教の信仰の精神と法の精神の区別が明確に出来ていなかったからです。 だから、ローマ帝国は滅んだ。(これは私見です) ローマ帝国の滅亡後、欧州を統一し、平和をもたらした国は存在しない。この点が中国に劣る点です。 中国は確かに物理学などの理数系の分野には弱いですが、法律と哲学を両立させて国を統治した。だから、数々の易姓革命を経ても、国を統一し、一時的ではあっても、国に平和をもたらせた。欧州ではローマ帝国後に起こっていない。 建物や社会インフラを建造と維持するのは外国人でも可能なことなので、歴史的な遺産を見ただけでは、優劣は不可能なことだと思う。 数冊読んだだけでは解らない領域なので、推薦する本を上げることはできません。100冊は読み込まないと見えないと思います。私は20年間ほど本業の傍らで勉強しています。本当に興味があるなら頑張って下さい。
お礼
再度回答して頂き有難うございます。 色々と詳しく教えて頂き、大変参考になりました。 それにしても、100冊も読まないと駄目ですか。以前、何故ヨーロッパはローマ以降はずっとバラバラで、逆に中国は一旦バラバラになってもいずれはまた統一してくのが不思議に思っていましたが、このことをきちんと分かろうとしたら、akikさんがおっしゃるように100冊くらいは読まないと駄目なんですね・・・・・orz
文明に優劣を考えることはやめた方が良いです。 政治制度はインフラと文明は比例しません。
お礼
回答有難うございます。 確かにこういうことは不毛な議論になる可能性が高いと思いますが、ちょっと気になったもんで質問させて頂きました。
- aburakuni
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何をもって文明と言うかと言う点が問題ですね。 残っている遺跡と言う点では、万里の長城や始皇帝の兵馬俑と比較すればローマの遺跡は規模では劣ります。 科学的発明と言う点では、ローマには殆どありませんが、中国には羅針盤・火薬・紙・印刷と言った四大発明を始めとする多くがあります。 政治組織に関しては、中国の統一王朝は絶対王政であったが、ローマーはギリシャの流れを汲む民主共和制からスタートし、版図の拡大による統一性の維持の為に帝政やキリスト教を導入して行ったと言う違いがあります。 政治の発展としては、原始時代には話し合いから始まる民主共産制、集団同士の争いを通して統治権の拡大による王制と言うのが自然の流れであり、ギリシャやローマの様に現在の市単位での行政から始まった文明と、最初から現在の国以上の版図を統治するところから始まった4大文明等では、そもそもの前提が異なります。 欧州でも一旦絶対王制に移行した事から考えると、政治制度として議会があったから文明が進んでいる訳ではないと思います。
お礼
双方の具体的な特徴を教えていただき有難うございます。 現代社会に生きている自分は議会がある方が、文明的に進んでいるような感じがありますが、決してそういうわけではないのですね
- tadagenji
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科学技術では中国のほうが進んでいました。 火薬、紙などがすでにあったからです。 上下水道は、地下水や排水機能がある川の有無により発展過程が違うのでしょうから、比較は出来ません。 中国は、今でも井戸があり水路が発達していることから上下水道は必要なかったのに比べ、ローマは川はほとんどなく必要から発達したと思われます。 日本でも、江戸時代の江戸は上水道が幕府が積極的に開発しているが、他の地域ではそのようなものは少なかったでしょう。
お礼
回答有難うございます。 確かに時代は下りますが、明時代の船乗りはもやしを大量に食べていたので、壊血病にかからなかったという話を聞いたことがあります。 ローマはそういった医療知識はどうだったんでしょうね。
お礼
回答有難うございます。 ただ、欲を言えば、その一長一短をより詳しくのべた回答かもしくはそのことについて書かれている書籍なりを紹介して頂ければもっと有難かったです。