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自分をさらけ出すには?
よく人間関係で自分をさらけ出すと相手と打ち解けられる、という意見を聞きます。いつも緊張していて自分を出すのが苦手な人間が自分をさらけ出すにはどうしたら良いでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちわ。 自分をさらけ出すと(表現すると)仕合せになれます。 逆に、これができないのは不仕合せです。 まずは自分が何を感じているのか「分かる」ことです。 おもしろいとか楽しいとかうれしいとか、 悲しいとか淋しいとか悔しいとかムカつくとか、 自分が感じていることを「理解」することです。 今、自分は何を感じてるんだろ、って気にしてみることです。 そして、それを「感じてはいけない」とは思わないことです。 うれしいときは喜んだらよろしい、 ムカつくときはおおいに怒ったらよろしい。 次に、それを言語化して人に伝えることです。 自分は仕合せでありたい。 自分はこのようにしたい。 あなたはこのようにしてくれると自分は喜ぶと思う。 そういうことを隣人にどんどん伝えるということです。 あなたがどんどん伝えれば、 隣人もどんどん伝えてくれると思います。 「さらけ出し合い」がスムーズにできるほど、仕合せになれます。 頑張って。(^_-)-☆
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- jwcdg
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こんばんは。 >よく人間関係で自分をさらけ出すと相手と打ち解けられる、という意見を聞きます。 上記は“良い点”ですよ。 私は、さらけ出すタイプの者です。 『さらけ出す』・・・すなわち、敵をも作りやすくなります。 相手によっては、変わっていると思われてしまったり、拒絶されてしまったり、自分に価値がないように感じてしまいそうになった時に、耐えられますか?? 日本で真面目に育った人達の多くは、他人からの視線/評価 を非常に気にする傾向です。 相手から好かれること=自分自身を認めること。とならず、 拒絶されても、自分の価値が下がることだと思わないこと。です。 >いつも緊張していて自分を出すのが苦手 どんな問題や困難が生じても、落ち込んだりするのではなく、自分が成長出来るチャンスだ。と楽しめる癖を付けること。 すると、自信に繋がる のではと思います。 ちょっとずつ、緊張を解いて、ご自分のペースでゆっくりと☆。
- bananasand
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自己表現の大切さはNo5の方のご回答の通りかと思います。 でもね、ご質問者様の受け取り方の的がですね 少しずれておられると思いますよ。少しね。 自分の周囲というのは、結局ですね 自分を映し出す鏡のようなものですから、 自分が自分から見て、どこか、きれいだとか、魅力的だとか、 信用できるとか、安心できるとか・・・の自信を獲得しないと、とてもさらけ出せないのですよ。(ご質問者様にこれらが無いと言っているのではありませんよ。自信を獲得する自分を作ってしまえと言っています。) ですから、何はともあれ鏡に写った自分を快い等々のいい感じの自分にして、その自信が付けば、さらけ出しは、自然とついてくるものだとおもうんですね。おそらく意識してさらけ出しだけを実行しちゃうとぎこちなくなりますよ。 誰もが利己的で、醜く、傲慢で、攻撃的とかのマイナスな面を持っているんです。でもね、つまりね、そういうマイナスな自分と自分なりに戦っている姿勢とか があるから、その分だけ、さらけ出せるんじゃないでしょうかね。
補足
確かにおっしゃる通りかもしれません。自分に自信が無いことにも気付かされました。「どうすれば自信を獲得できるか?」と考えると...う~ん。難しいですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答番号:No.3 禅僧は天下に己のはらわたをさらけだすことができる修行をするともいわれています。 思い立ったから、さらけ出しても本人の作ってきた状況が、そして自分というものの成り立ち有り様(ありよう)がそうなっていなくては嘘物であり、危険きわまりないことでありましょう。 次元が違うが一心発起発心(ほっきほっしん)でヒマラヤで瞑想や座禅していて、虎に食われた残骸がたくさん残っているそうです。 〔なるほど、深いしいい意見です。)というものなのかどうか判りませんが、聖者の無防備とはそういう状態であり、我々のような普通の人が、単に打ち解けて、リラックスして交わるなんてことは、自分をそうすればできることです。 それは飾らない、間違ってもいい、馬鹿でけっこうで、できます。 よく見せようとしない、お互い様でやっていけば済むことです。 要領と演技の問題、その練習でしかない。 そういうことをご質問でしたのかな。〔なるほど、深いしいい意見です。〕ということであれば。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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悪心の無い人は、警戒をしない。無防備です。 相手の入ってこられない、壁を作らない。 相手を受け入れる。それでも自分を失うことがない。 そういう事も一面にいう言葉かもしれませんよ。 そうはいっても、これは難しいのです。 生まれたばかりの赤ちゃんでもないし、一応生活している人間としては。 もまれ、攻撃され、いろいろなことを経験していますから。 記憶のかなた遠くにいった具体的経験であっても、その経験からの心の配備は解くことは難しい。 これをいう人はではどうか、ほんとうにどんなときにも、どんな人にもど、どんな動植物、天変地異にも自己をさらけ出していられるか。 それをできないで、こういう言葉を口にするのは真に中途半端です。 人にいっても、そんなのは相手にしないで、自分の基本的あり方をいつも反省し、改善していくようにしていればいいのではないでしょうか? じぇすちゃーや雰囲気、言動だけでさらけ出しても馬鹿か、詐欺師みたいなものです。 これがほんとうにできるには、自分という人間を超越する工夫が必要でしょう。
お礼
なるほど、深いしいい意見です。ありがとうございます。
- Komiker
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>自分をさらけ出すと相手と打ち解けられる、という意見を聞きます。 それを言ったかたに「さらけ出す」とは、具体的にどういう状態を言っておられるのかお尋ねになったほうがよいでしょうね。 抽象的な表現を自己流に解釈するのはやけどの元ですよ (^_^)v
補足
「さらけ出す」とは「本音で話す」とか「バカになる」ことのようです。自分では時々本音を出したり、バカ話を出したりしているのですが、いまいちしっくりしないし打ち解けた感じはしません。
私なりに考えることを述べれば、一糸もまとわぬ裸になれば相手が信用するというのは、戦国時代の武将のように常に相手を疑わないと生き延びられない状況では確かなことだったと思います。つまり相手の存在を抹殺することが原則である場合には、そういう意志を自分は持っていない、殺すための武器を身につけていないということを相手に納得させることが人間関係を作る上に非常に有用だったと思います。しかしこういう状況であっても相手を間違えば、簡単に殺されてしまったということもまた多かったのではないでしょうか。さすがに現代では命を奪われることはないにしてもさらけ出す相手を間違えれば社会的生命を失うことはいくらでもあると思います。つまり相手次第だと思います。しかもその場合でもさらけ出すというような丸投げのようなやり方は決してとるべきではないと思います。むしろ相手を尊重しているということをその相手に知らせる方法を考えるべきではないでしょうか。
お礼
なるほど、いい意見をありがとうございます。
補足
自分に当てはめて考えてみました。自分の場合「言語化して伝える」というのが一番苦手な感じがします。「こう言ったらどう思われるか」を常に気にしてしまい素直な言葉が出ないのです。無言になってしまうことも多いです。素直に思ったことを言っていいのかな?でも恐怖心があるんですよね~