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法華経の文言

 http://okwave.jp/qa4932206.htmlにおきまして、回答番号:No.11 様が、ご回答中に、「仏の教えは仏の教えのみが解ると法華経にもあるでしょう。」と仰せられています。  私も、別のことで、その人のことはその人しか分からない、という思いを持ってきておりますので、どうかお教えください。  1. その法華経の文言とはどういう文言なのでしょうか?  2. その文言を普通はどのように、解説(お教え)しているのでしょうか?  どうかよろしくお願い申しあげます。

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  • itanochan
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回答No.1

妙法蓮華経。方便品第二。 佛所成就。第一希有。難解之法。 唯佛與佛。乃能究盡。諸法実相。 佛が成就したところは、第一のものであり、稀にしか無いものであり、理解し難い法である。それはただ佛と佛とだけのみ、すなわちよく、全ての法のありのままのありかたが究め尽くされるのである。 ここの事でしょうか?間違っていたらご容赦ください。

krya1998
質問者

お礼

 俟っていました、ご回答を頂き心より感謝しております。  ありがとう御座いました。  私は多少、人生の事を読書だけはしてきておりますが、佛教には疎いもので、ここでの佛に関連して自己流の表現が、不適切かも知れません。  佛という存在を所謂る解脱を心がける自分として置き換えても、それは正に佛と佛の間のこと、自分と自分の間のことを言われているのであろうとも、思っております。  それだけ、ざらにある、店で簡単に手に入れるものではない。  それはそれだけのことである。代替や一般、道端というのではないと、ということなのだろうか。  全く個人自体、そのもの自体のことだろうな、と思うのです。  ありがとう御座いました。  やはり質問を出してよかったと本当に思っています。

その他の回答 (2)

回答No.3

簡単に言うと、 「その境地はそこに達した者にしか理解できず、いくら教えを説かれても真に理解することはできない。自らの力でそこに達する必要がある」 という教義じゃないでしょうか。 良く知りませんが^^; 例えば、マラソンで完走した時の気分をランナーに聞いても、 「へえ~そうなんだ」くらいの漠然とした、表面的なことしかわからないけど、 実際に自分がマラソンを完走してみればその気持ちが理解できる。 (ただしそれも、人によって感じることは違うのだから、 その人の気持ちを真に理解できるのはその人だけですよ) ということかな~という個人解釈。 親が題目唱えてますが自分はノータッチなんでよく知らないんですよね~~。

krya1998
質問者

お礼

 一般的にも通じる、仏教の真理道破ですね。  ですから仰せのとおりの事にも通じていると存じます。  ありがとう御座いました。  私も正に仰せのとおりと存じております。  人は自分で経験しなければ何も理解はできないですね。  ありがとう御座いました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

回答が出てますが他の参考まで 妙法蓮華經方便品第二から抜粋 佛所成就。第一希有。難解之法。唯佛與佛。乃能究盡。諸法實相 「仏が成就(達した)所は最も稀有で難解の法であり、ただ仏と仏のみ、よく真実の姿を究尽《理解》できる。」 註:唯佛與佛=唯仏与仏:「ただ仏と仏のみ」との訳あり。 我法妙難思。諸増上慢者。聞必不敬信。 「法は理解し難く、増上慢の者が聞けば必ず(仏への信仰に)疑いを持つ。」 註:つまり仏の教はこのようなものと理解している人には到底理解できないという意味。 是法非思量分別。之所能解。唯有諸佛。 「法は思慮分別にあらず(思慮分別を超えてる)、その理解は諸佛のみにある。」 このように仏にしかわからない法を弟子に説明するには神通力を使って弟子に見せるしかなかったと思いますね。それで弟子がどこまで理解できたかは一定の疑問が残りますね。それ故、法華経は読んでも良くわからないのですね。 読んでもわからないから「お題目」になったということでしょうね。 また、たとえ、わかるものが解説しても、「増上慢の者は必ず疑いを持つ」と釈尊が明言してますので手の付けられないお経なのですね。 尚:日本語訳の意味は大体同じだと思いますが確認のためにいろいろ比較してみてください。

krya1998
質問者

お礼

 ありがとう御座います。  「法は理解し難く、増上慢の者が聞けば必ず疑いを持つ。」  質問者:やはり、自分で理解してやろうという思いよりも、感激と実践、自己革新の思いが先ですよね。  「法は思慮分別にあらず、その理解は諸佛のみにある。」  質問者:思慮、思考の知性で何かを把握する心理や機能には届かないものですね。  神通力も、佛のvibrationも絶対に必要でしょう。  そしてそれは私なら私という自分におけるパーソナルな直接の次元において経験してくることなのでしょうね。  ありがとう御座いました。