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辞表を「書く」ことの意義
心理学のところにも同じような質問をしたのですが、分類について自信がなかったのでここでも質問させていただきます。たとえば、今の仕事が嫌でやめたいと思っていた人が辞表を書いて手元においておくことによって仕事をがんばれる、といったことがあると思います。また、遺書を書くことによって生きることに一生懸命になるということもあると思います(最初と違う意味を持っていたらすみません)。ではそれは哲学的にはどう説明できるのでしょうか。詳しい方がいましたら教えてください。
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- TheUchuuNoKori
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記載の過程の途上で、自虐的な衝動が解消されるからではないでしょうか?
- may-river
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幼い頃から肉親の死や裏切り、難聴など数々の苦難に打ち勝ち、たくさんの名曲をこの世に残し、ピアノ・エ・フォルテの改良に尽くした演奏家であり作曲家、ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの伝記を読んだことはおありですか?(読んでみようor読み直してみよう……普通の本屋ならどこにでもありますから) ベートーヴェンは、第九を作曲する前、丁度ピアノコンツェルト「皇帝」を作曲する5年位前に遺書を書いていました。彼は、遺書を書くことによって、再び生きる力を手に入れたといいます。 書くということは、自分の中に渦巻いている感情を、視覚によって再認識する事だと思います。「知っている」と「認識する」は別モノです。 つまり、頭の中の考えを紙に全部出し切ると、また新たな考えが浮かぶと思うのです。それがポジティブに向かった場合、kenken999さんの言う様な事になるのではないでしょうか。 あくまでも私見なので、自信はありません。
- Jun77
- ベストアンサー率26% (28/106)
遺書や辞表を書く事で、それまでの自分の仕事なり人生を総括するのだと思います。いま、この瞬間にそれが終わりになったとしたら、自分にとって、この人生は、あるいはこの仕事はどういう意味を持つものだったのか、と考えるわけです。その結果、自分の人生や仕事を客観視する事ができるようになります。悲しいだけと思っていた人生に意外な意義を見出したり、苦しいだけと思っていた仕事の社会的有用性に気づいたりするのです。「遺書を書くことによって生きることに一生懸命になる」という現象は、このように説明できるのではないかと思います。
胎をくくる。ということでしょうか。 今まで生きてきた世界の地平を、飛ばすのです。 今まで拒否してきたものを、許容する。ともいえます。視野にいれるということです。 そういうようなことではないですか?哲学的には、「高位に座する」といえるのではないかと思います。もしくは、「高みを見る」ということかもしれません。 人間は、その知性により、生きる世界を、時々に移動するのでしょう。