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大学での勉強の意義について(特に文系)

はじめまして、大学1年で今は心理学を専攻しております。 弟に大学についての相談をされ、自分では答えが出なかったためここで質問させていただきます。 それは、大学の学問の意義です。 私の父は、大学は職業訓練校ではないとよくいいます。 特に文系ではその色が強いように私には思えます。 例えば医学部でしたら将来はお医者さん、看護学部でしたら将来は看護師や保健士などなど大学時代に専門として学んだことが職業に直結すると思います。 しかしながら、文系は学んだことをそのまま生かすというというより学ぶことに意義があるように私には思えます。 哲学を学んだ人全員が哲学を研究する研究員だったり、学校で哲学を教えたりするわけではありませんよね。 現に父は文学部で芥川を学んだそうですが、今は福祉の仕事に就いております。 故に、大学の勉強は側面が二つあって、専門的に学ぶことによってその分野のエキスパートを育成することと、何かを極めることによって将来職業に就いた時にその分野も極めることができるだろう「可能性」を育成すること…などではないかと自分で結論付けました。 私は将来つきたい職業があり、その職業に就くために必要な知識を培うために今の学校に入りました。 しかし、弟は自分の将来が見えないと言っています。 以前興味があると言っていたので、私のシラバス、授業題目を見せたところ、教育学の勉強が一番楽しそうだね。と言っていました。 それならば、自分も教育学を勉強してみてもいいんじゃない? 教育学部をでても教師にならない人もいっぱいいるよ、とアドバイスしてみたら、 先生が、教師にならないのに教育学部に入ると就職活動が不利になるって言ってたから、つぶしがきくやつに入りたい。 と言っていました。 もちろん就職というのは大事なのは重々承知していますが、 つぶしがきくという安易な理由から当たり障りのないところを選ぶより、学びたいことを学ぶ方が後々自分のためになるというか、 いい大学生活を送れると思いました。 しかし、うまくアドバイスできません。 私の考えも理想論過ぎる気もします。 貴方が私の立場だったら、私の弟に何をアドバイスしますか? 大学は一体なんのためにあるのでしょうか? なんのために教養を学び、週一で体育をやっているのでしょうか?

みんなの回答

  • negitoro07
  • ベストアンサー率24% (389/1569)
回答No.6

大学は確かに勉強の内容より、社会的スティタスとしての側面が進学の大きな要因だったかもしれません。そのため、文学部(人文科学)のように役に立たないけど、多くの学生が学んできた気がします。 一方で、文科系でも役に立つ学問があることも事実です。特に社会科学はそうだと思います。日本の大学では「教養」の名のもとに、無意味な勉強を学生に押し付けてきたことも事実です。 とはいえ、一般市民に必要な教養が不足していることも事実です。たとえば、歴史や法律がそうです。言葉の問題を別にすれば、中国の大学生と日本の大学生が歴史や政治の議論をして、どちらが勝つでしょうか?学校や会社での人権侵害(労働問題を含む)が頻繁に起こりながら、その処理がうまく行われていないのは何故でしょうか? 教養=虚学というステレオタイプが、教える側にも教わる側にも存在します。その結果、実学がおろそかになっている現実にも目を見けていただきたいと思います。 弟さんがどういう人か分かりませんが、哲学が役に立たないと分かれば、法律などの分野に転向すれば良いのです。その過程で、周囲や家族に、「最初から哲学なんて選択しなければ良いのに」と言われても、その批判を甘んじて受けるべきです。自分自身の選択に責任も反省もなく、ただ「大学での勉強(全体)が役に立たない」と決めつけているようでは、これから先が思いやられます。

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  • tekcycle
  • ベストアンサー率34% (1839/5289)
回答No.5

就職が悪いくらいでやめてしまうというのは、たいして学びたいことではない、ということです。 就職が悪くても良いからそれでも、というくらいでないと。(それにしてもやめておいた方が良いですが) ちょっと面白そうなこととやりたいことは違います。 野球は面白そうだが、走り込みやら素振りやらノックやら、御免被りたい、というようなことです。 > なんのために教養を学び 大学人の雇用のためです。 私は要らないと思います。 東大の教授にも、教養ってもっと違うことだよね?と言う人はいるようで。 専門の基礎や専門の初歩と教養は違うでしょう。 教養のない専門バカに教養の講義は不可能です。 片手間に下手な講義を聴いているくらいで身に付く事は殆ど無いでしょう。 むしろ、専門のことをそれなりにやってみて、それが教養になる感じではないでしょうか。 体育に至っては強要する必要はないと思うんです。 体を動かしたい奴が単位も取れるし専門家がついているし、という中で、体を動かすというのは、それだけでそれなりの意味があると思うのです。 例えば、カナズチが某水着を着て世界新を出す..んじゃなくて、カナズチがとりあえず泳げるようになる、なんてのなら、そういう場は貴重です。 でも、雇用のためだから、数が一定でなくては困るし、普段いい加減な教養ばかりをやっているが為に、自信がないから強要しているんでしょう。 アドバイス? とりあえず社会科学系に行ったら? 学びたいことは今のところ無いんです。無い物は無い。無い物を無理矢理あることにするのは今度は嘘で。間違いに繋がるでしょう。 無い物は無い、ということを明確化できることも、「専門をちゃんと勉強して」身に付ける「教養」です。 芥川をやっても宇宙物理をやってもそこは同じでしょう。 「大学の教養の講義」の教養ではありません。

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回答No.4

大学では、よくレポートを書きますよね。 例えば、そういう「書く」という行為を身につけることが、どの授業を通しても可能です。これは、社会に出てからも通ずるところがあると思います。 また、ゼミなんかでは、発表の場があります。人前で自分の調べたことを発表する。これも、一つの社会勉強となります。 どんな分野であれ、文系でも社会に出た時に多少なりとも役に立つ作業を行うことができるのが大学のような気がします。 人との出会いも大切です。大勢の人が集まっているのが大学。様々な人がいるでしょう。そこでどのような人間関係を築いていくか? 学生時代は、自分の気に入っている人だけで固まって行動すればいいでしょう。でも、社会に出れば、どんな人とも行動を共にしなければならない場面が出てきます。その際に、学生時代にこんなヤツもいたなぁ・・・という経験が大学ではできます。 私も、いったい大学って何だったんだろう・・・と迷うことがあります。ただ、ひたすらバイトやサークル活動にいそしみ、学業はどこへやら・・・。 それでも、そこで築いた人間関係は今に続きます。 また、そこで得た経験も、今それなりに役に立っています。 人間形成の一つの場なのではないかなぁ・・・という気がしてきました。

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  • y1y9y8y1a
  • ベストアンサー率31% (30/95)
回答No.3

あまり深くは回答できませんが、文系の学問の意味はいくつかあると思います。 まずは質問者様の言うように、「教養」です。 自分のなかに多くのものを考える材料として抱えておくことで、思考に深みが生まれると思います。 一つのものしか知らないより、いくつかのものを知っているほうが応用が効いたり、それらを材料として組み合わせてやることで、広い視野で物事を考えたりすることができると思います。 それから、「意味の探究」とでもいうものです。 理系の学問を修めていないので偏見かもしれませんが、理系学問は即物的であって、物事の意味を問うものではないと思います。 「意味」よりも「事実」を追究する、といった感じでしょうか。 また、大学の学問に文系、理系は関係ないとも思っています。 自分で学問を行う意味は、自分で物事を考え、自分の力で答えを導き出すことだと思います。 高校までの勉強は、概ね答えが用意されています。 考えることがあるとしても、その答えに到達するための筋道を教えてくれるものです。 言い換えれば、「学問に対する基礎的な考え方」を教えてくれるもの、とでもなるでしょうか。 しかし、大学以降の学問は既述のように、自分で問題そのものについて考え、その答えを何もないところから導かねばならないことが多いと思います。 それゆえに、先生の厳しさが足りなかったり、自分の努力や興味が足りなければいくらでも低レベルなものに落ちることができてしまいますが。 それから、このプロセスで論理的な思考力を身につけることができます。 物事を考え、筋道の通った答えを出すためには論理性が必要です。 論理というと理系っぽいイメージがありますが、文系の思考にも論理が求められる場面は多いです。 というわけで、ちょっと抽象的かもしれませんが、大学、特に文系の学問にも意味は十分にあるというのが私の持論です。 こういうことを本気でやろうと思ったら、本当に興味があることでないとうまく続かないと思います。 だから、弟さんには「今、一番興味のある分野に進めばいい」と言えばいと思います。 あとは、弟さんが自分の興味やその後の進路について、どれだけ真剣に、深く考えて答えを出すことができるかどうかです。

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  • come2
  • ベストアンサー率32% (594/1811)
回答No.2

こんにちは >私の考えも理想論過ぎる気もします。 そうですね、ちょっと理想論過ぎるかと思います。 >つぶしがきくという安易な理由から当たり障りのないところを選ぶより、 >学びたいことを学ぶ方が後々自分のためになるというか、 >いい大学生活を送れると思いました。 学びたいことがあるならいいですが、決まってないんですよね? 学力上可能なら、東大の文1受ければよいかと思います。 最初の2年間は学部に所属せず、全員教養課程 3年進学時に希望と成績で学部が決まります さすがにその頃には、自分のやりたいこともあるでしょう 法学部行きたければ、そちらへ 哲学希望なら、そちらへ という感じですね とはいえば東大も難しいですから >弟は自分の将来が見えないと言っています。 で、あれば、高校の先生のアドバイス通り つぶしの利く学部として 法学部もしくは経済学部が良いのでは?と思います 教育学に興味があるなら、教職課程も履修すればOK >大学は一体なんのためにあるのでしょうか? >なんのために教養を学び、週一で体育をやっているのでしょうか? それを確かめに大学に行くってことでいいのでは? 考え方はひとそれぞれ、役立つ人もいれば、全然役立ってない人もいるってことで

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noname#63946
noname#63946
回答No.1

よく言われるのは 文系は人と人を繋げること、人の折衝、人と話し触れ合い接すること、そして人を管理することが目標である。 理系は上記のモノ、技術、サービス バージョンが目標である。 大学での授業は社会に出て直接は役に立ちません。 しかし、見えないどこかで頭のひらめきなどで役に立っているものです。 それ以外に重要なのは同期の知り合いを沢山増やし、話す力を身につけることです。 同期が皆、色々な会社の社員になれば、それだけで人脈ができます。 時間がたって課長等になってる頃には、沢山それクラスの人脈ができます。 日本では知り合いだと物が安く買えたりなど、得することが多い人脈社会です。 それだけでも大学に行く価値はあると思いますよ。 とりあえず、冒頭の文系は~理系は~のところをいってみてはいかがですか?

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