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真言

密教や修験道の護摩供のときに、僧侶や行者が唱える真言(だと思います)の中に『バン バン バン』『ラン ラン ラン』という一節が続けて出てきます。意味をご存知の方教えてくださいませんか。 『バン』は恐らく大日如来の種字だと思うんですが、『ラン』の意味がわかりません。

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noname#88701
noname#88701
回答No.2

私は在家ながら正しい真言の法に触れる機会を得た者です。 回答者1の方のお答えにて十分とは思いますが、少しだけ付け足させていただきます。 真言の法は秘密であり口外しない、という事に関してです。 それは、真言の教えは、直接の世界だという事です。 仏から人へ、或いは、師から弟子への直接の説法の世界です。 ですから、同様の体験を持つ人以外には説明不可能なわけです。 説明のつかない、相手が理解できない事を説いて迷わしてはいけない 先徳の教えを穢してはいけない 師の教えと恩を穢してはいけない そういう思いがあって口外しないのだと思います。 悪い意味での秘密ではないのです。 尊いものだからこそ大切に守られてきたのだと思います。 また、教えを受ける場合には、人それぞれのその時の境涯において確かなものが授かるものだと思います。 それも自然に、少しの無駄もなくです。 一生忘れる事のない体験です。 私は幸いにしてそのような体験を少しですがいただく事ができました。 真言の教えは師事してこそ初めて分かるものだと思います。 教理教論だけでは本当のものに行きつかない。 師あってこそ本当に頷けるものです。 親から授かるようなものです・・・。 少し書きすぎたような気がします。 一方通行のお話しに見えましたらご容赦ください。 真言を唱えるときには少しでも感謝の気持ちを持って唱えたいと思っています。

pen0746
質問者

お礼

とても真摯なご意見をありがとうございます。 延々と受け継がれてきた密教の深遠を字面で知ることは出来るはずもありませんね。 私もしかるべき方に師事して、貴兄が体験されたものの一部でも知りたいと思うようになりました。

その他の回答 (2)

noname#88701
noname#88701
回答No.3

NO.2です。 お礼の言葉ありがとうございました。 あなたが真面目な方だと思いますので、僭越ながらあと一つだけ申し上げておきたい事があります。 それは、阿闍梨さんに師事される場合についてです。 この事は専門の僧侶の方々には、或いは、お叱りを受ける事かもしれませんが大切な事ですので敢えてお話させていただきます。 大師のお言葉に「加とは如来の大悲をいう・持とは衆生の信心をいう」 とあります。 密教の教えはこの言葉に説き尽くされているともいわれています。 この「大悲」を説いてくださる、或いは信じて疑わぬ方が本物の阿闍梨 さんだと思います。 大悲とは仏の真心、と私は解釈しています。 人の真心は紙一重で欲や憎しみに変わりやすいものです。 でも仏の真心はどこまでも真心です。 密教の煩瑣な教学や行法もこの大悲が基となっていて、また全てが包まれているとも思っています。 少し遠回りをしましたが、 師事される場合には、この大悲を説いてくださる方に師事されるようお勧めいたします。 また、師事される作法をたとえ知らなくとも、謙虚な心で接すれば必ず 暖かく迎えてくださるはずです。 (その様な方であれば・・・) 間違っても怪しげな行者さんとはご縁を持たぬよう注意なさってください。 また、肩書きだけの人もいますからよく見定めてください。 以上です。

pen0746
質問者

お礼

お礼が遅くなり申しわけありません。 いいお話をありがとうございました。 良縁を願って精進してまいります。

  • rurubonpp
  • ベストアンサー率26% (128/488)
回答No.1

「バン」は水のこと、「ラン」は火のことです。そういう「水」や「火」の真言を唱え、印を結んで、浄めるという密教の作法があるわけです。これ以上は秘密ですね。口外してはならないことになってますから。詳しいことは図書館や書店などで「密教辞典」を参照してください。 自然の「水」や「火」ではなく、「法の水」や「法の火」といことです。

pen0746
質問者

お礼

ご教授誠にありがとうございます。 ある密教僧の方に祈祷をしていただいたときに印象に残っていたので、意味が知りたいと思っていました。 『ラン』という仏尊の種字が調べたところ見つからないのでお尋ねしました。 密教を勉強しようと思うなら、うわべの興味や知識ではなく、しかるべき方に師事して勉強すべきですね。 疑問は解消しましたし、大変勉強になりました。

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