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南無本尊界会とは

真言宗における本尊宝号「南無本尊界会」とは「御本尊様に帰依します」 という意味でよいのでしょうか? 大日如来に素直に「南無大日仏」と唱えないのはなぜでしょうか?

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回答No.1

真言密教は専門ではないので、細かな点では間違っているかもしれませんが……。 厳密には、「南無本尊界会」と「南無ご本尊様」では意味が違います。 「界会(かいえ)」は、曼荼羅の「集会(しゅうえ)」の意味とほぼイコールだと思われますので、「本尊界会」だと、「ご本尊様を中心とした仏様の集まり」 ということになります。 つまり、ご本尊様だけに帰依するのではなく、ご本尊様を中心とした幾人かの「仏様の集まり」に対して帰依していますよということを言っているのだと思います。 まあ真言宗のお寺の場合は大抵が大日如来がご本尊さまでしょうから、胎蔵界曼荼羅でいうところの「中台八葉院」という「仏様の集まり」に描かれている仏様、まずは中心である大日如来様に帰依しさらにその周囲に描かれている仏様すべてに帰依しています……という意味合いになると思われます。 たまにはお釈迦様がご本尊のお寺もあるでしょう。その場合は「釈迦院」に描かれているすべての仏様に帰依しています……という意味です。 真言宗と一口にいっていらっしゃいますが、この「南無本尊界会」を唱えるのは新義真言宗(智山派と豊山派)だったと記憶しています。高野山とか東寺真言宗ではこういうことは唱えていないと思います。 具体的にどういう意味があって、大日如来だけに帰命すると言わずに「仏様の集まり」に帰命すると言っているのかはよく存じ上げません。 この点については詳しい方の回答があればと思います。

Thor9234
質問者

お礼

ヒントを下さってありがとうございます。 曼荼羅の概念からすれば中央にいらっしゃる大日様はその曼荼羅全てを表しておりますので 大日如来に向かって「南無本尊界会」と言うことは両界曼荼羅の全諸仏諸尊に帰依すると唱えていることになるのだと思います。「南無十方仏」と同意義かもしれません。 新義真言宗では「弥陀即大日」等の顕教内包の概念や最高仏たる恐れ多い大日さんが直接説法するのではなく他の仏さんが衆生に分かりやすい姿となって説法する形式を採っているので「大日さん(だけ)に帰依する」というよりも「大日さんを中心に全ての仏様に帰依します」と唱えるのかもしれないと思いました。