bungetsuです。
>>では密教は自分の力で外のものに働きかけるような感じだったのでしょうか。
密教では、煩悩におおわれた人の三業も「三密」と呼ぶ。
仏と衆生は、その本性において同じである。そのことは「加持」(かじ)において明らかになる。
加持は一般的には神仏に加護されることを言うが、空海は、
「加持とは如来の大悲と衆生の信心を表す」
と言い、
「仏日(ぶつにち)の影(仏の太陽のような光)が衆生の心の水に映るのを加といい、行者の心の水が仏日を感じるのを持」
と言うとされ、
具体的には、手に印を結び(身密)、真言を唱え(口密)、心を仏に向ける(意密)という三つの行(三密)によって、加(仏の慈悲)と持(人の信心)が働き、仏と人は相照らすもので、それを「三密加持」と呼ぶ。
密教の修法(しゅうほう=儀礼や祭儀)は三密加持を基軸に、結界(けっかい=道場の聖別)、造壇(ぞうだん=儀礼の場の作成)、撥遣(はっけん=招霊や送霊)、護摩法(ごまほう=火による浄化)などに厳粛な手続きを得ることが重要である。
修法の実際は、除災招福(じょさいしょうふく)、祈雨(きう)、鎮魂(ちんこん)など目的に応じて多彩である。
また、種々の瞑想においても仏を感得(かんとく=感じ取る)する行法をもち、それらは呪術的な祈祷(きとう)にとどまらない。
密教は仏と合一する神秘の宇宙を追及した深くて精神的な宗教だとされている。
>>お寺に行く前に歴史を勉強してから行ったほうが面白そうだと思いました。
そうですね。
例えば、曹洞宗では「お釈迦様」を本尊としているのですが、戦国時代織田信長により一向宗(浄土宗または浄土真宗)への弾圧があり、それを逃れるために、浄土宗の阿弥陀如来像を本尊としながらも曹洞宗に改宗したお寺が幾つかあります。
お寺の造りが素晴らしいとか、庭が綺麗だ・・・などと感心すると同時に、そのお寺の歴史を知って参拝されたら仏教がより深い意味合いを持つのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございました。