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修験道における寺・院・房の意味について
下記は文政年間に記された修験道当山派のある寺伝の一節です。 先祖平家の落人○○が真言宗になって△△房と名を改め、小庵を建立して神明宮を安置していた。 その後、文明三年に他所の神社に引越し、修験道となり、別当を勤めた。もっとも社地に居住していた。 その後貞享三年に寺山号を免許され、◇◇山▽▽寺と改めた。 また、別の寺の記述では◎◎院と名乗った後、寺山号を免許されたとあります。 そこで、次の点について教えてください。 1、「寺」とは、御堂・庫裏等、施設の総称、または住職・信徒を含めた組織の総称と理解していたが、修験道では施設・組織としての寺を持たず、神社に奉仕しているようである。 では、この場合の◇◇山▽▽寺は実質的に山伏個人を指すと考えてよいか? 2、「別当を勤める」の意味は、寺の運営を本務とし、神社奉仕を本務以外のこととして勤めていたということでよいか? 3、△△房、◎◎院とは施設・組織を指すか、山伏その人を指すか? 4、そもそも、山・寺・院・房の号は格式からみてどれくらいの差があるのか? 以上、よろしくお願いします。
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補足
3、4についてはよくわかりました。 また、「江戸時代あたりの小規模な寺について」の回答も大変参考になりました。ありがとうございます。 1、2について補足質問させてください。 以下は文政年間に当山派の寺僧(山伏)が自ら書いた寺伝です。原文のまま記します。 …(先祖は某寺の弟子であったが)寛文六年に○○村へ引越し、△△社別当と相成り、その後延享四年に寺山号御免許、◇◇山▽▽寺と相改め、尤も社地に居住仕り候、持宮十二か所別当相勤め居り申し候… イメージとしては境内内に社殿以外に別棟または棟続きで寺院(住居に仏壇を置いた程度のものも含め)があり、社殿には天照皇大神等、寺院には大日如来等を安置していた。こんな感じでしょうか? それとも、建物としての寺は存在せず、山伏その人、あるいは形のない寺格を指して◇◇山▽▽寺と称したのでしょうか? 私は当初後者の方と思っていたのですが(境内を調べたが独立した寺の遺構がみられなかったため。ただし、神職の住居は今もある)、上部の寺から寺山号を受けている以上、どんなに小さくとも大日如来等を安置する施設がなかったとは考えにくいと思えるようになってきました。 それと、別当の意味ですが「本官のある者が臨時に別の職に当る」ことですよね。 私は寺務が本務で社務は二次的であるから「別当」かと思いましたが、違うのでしょうか?とすれば神社別当を勤めた山伏の本務とは何でしょうか? すみませんがよろしくお願いします。