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松山藩 久松家とタルト
私の祖母の実家は久松家に少し関係がありまして、父に思い出話としてして語っていたものの中に、 「明治になり、しばらくは久松家だけがタルト作っていたのだが、跡取りとしてタルト作りの修行をしていた息子さんが戦死(第二次世界大戦?)してしまったため、タルト作りの権利を他の和菓子屋に譲渡し、その後色んなお店で作られるようになった。」 と言っていたそうです。 例えば一六タルトのHPなどをみても、創業年は書かれていても、タルトを作り始めた年はぼんやりとした表記ではっきりしません。 父の記憶が確かならば、タルトは戦後広まったということでしょうか。
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回答No.1
明治以降のようですね(^-^) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%88_(%E9%83%B7%E5%9C%9F%E8%8F%93%E5%AD%90)
お礼
回答ありがとうございます。 wiki見させてもらいました。 が、明治以降という表現も幅が広すぎてて、いったい何時からなんだろうという疑問は解決できず、まだもやもやしてます。
補足
祖母の話だと、明治の頃はタルトを作っていたのは一軒だけで、その和菓子屋が「久松さん」だったそうです。(屋号不明) 士族を廃業後、商人・職人として市中でしていたらしいので、「明治以降菓子司に伝わった」ということになるのでしょうが、他の店が作り始めた時期を知りたいと思っています。 祖母は父が成人する前に亡くなってて、そういう古い記憶なので情報もいい加減なところがあると思います。 かといって個人的すぎるので、一六本舗や六時屋等への問い合わせは気が引けます・・。 自分の持つ情報を確認したいので、大昔の松山市のことに詳しい方がいらっしゃいましたら、引き続き情報をよろしくお願いします。