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明治以降の日本と、これからの日本
明治になってから、おおむね150年が経過すると思います。この間、江戸時代の250年?とは、あるいは、それ以前の日本史の各時代とも、密度の異なる出来事が多かったのではないか???と考えてしまいますが、いろいろなことがあったにもかかわらず、たかだか150年です。 明治以降の150年を、素人なりに、極めて大雑把に、こんな感じかなぁ???と考えてみました。 (1) 開国と外圧への対応 (2) 薩長藩閥政治から自民一党政治 (3) 悲惨すぎる戦争と、敗戦からの復興 (4) 経済の豊かさと心の貧困化 ただ、いろいろなことがあったにもかかわらず、「まぁまぁ、それなりに幸せな150年だったのではないか???」なんて不謹慎なことを考えてしまいました。これも先の悲惨な大戦を知らない戦後生まれの特徴かも知れませんが。 私の考え方などはどうでも良いのですが、ふと、歴史について少しでも関心を持っておられる方は、この150年を、日本史の中でどんなふうに評価されるのだろうかということが知りたくなりました。 皆さんは、この「明治以降の150年」というのを、日本史の中でどのように評価されますか???それから、「歴史」ということにはなりませんが、「これからの日本の、あるいは日本人のあり方」ということについて、普段、何か感じておられることがあれば、教えて下さい。「分野」は問いません。 優劣の問題ではないと思いますので、ベストアンサーは選ばないで、締め切ります。それでもよろしければ、自由奔放にご回答をいただければ有り難いです。
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- staratras
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ごく大づかみな話をすれば、明治からの150年はやはり1945年の敗戦を画期としてその前後に2分できるでしょう。前半が富国強兵策で国の近代化を進め日清・日露の両戦争を経て列強の仲間入りを果たしたものの、太平洋戦争で世界を相手に戦って挫折するまでの「戦争の時代」、後半が焦土から出発して復興をめざし経済の高度成長に成功して一時は世界第二位の経済大国まで登り詰めた「平和の時代」です。 日本の歴史を通してみれば、実は日本が日本列島以外で対外戦争を行った時代は少なく、古代では好太王の時代から白村江の戦いまでくらい、近世では豊臣秀吉の朝鮮出兵の時代、近代ではこの「戦争の時代」です。 司馬遼太郎氏が述べていたように、この「戦争の時代」が日本史上ではむしろ例外的な時代で、「平和の時代」の方が常態だったと考えるべきですが、それはさておき戦後70年以上日本が戦争をしなかったということを回答者は誇りに思います。 そしてこの「戦争と平和の時代」を通じて、日本は近代化と経済成長を果たし、150年前とは見違えるような国になりました。人命を大切にするようになったことはその中でも特筆すべきだと考えます。 この前の明治百年の時(1968年)、中学生だった回答者は運動会で「鎮台さん」という歌に合わせて踊りました。「鎮台さん」は明治初めに全国の数か所に置かれた「◯◯鎮台」という陸軍の軍団にいた兵隊さんの愛称です。また当時通っていた中学校(校長は熱血漢でしたが、公立のごく普通の学校でした)では、定期試験の前になると「Z旗」が校舎の屋上に掲げられていました。Z旗というのは日露戦争の日本海海戦の時、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」という意味を持たせて日本艦隊の旗艦「三笠」に掲げられた信号旗で(この故事のように試験にガンバレ)という意味でした。 50年前には祖父母など明治生まれが大勢いてまだ身近だった「明治時代」も、平成の現在ではすっかり遠くなってしまいました。
- eyasi2675
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江戸時代は、日本人の精神性が最高の時代です。幕末に来日した外国人が、日本人の精神性の高いのに驚いて、紀行文を書いてます。そして、これから西洋と交わり悪くなると予言しています。事実そうなりました。日本人は、戦争に負けた結果、西洋の論理思考文化に染まり、日本人の心は、西洋文化に征服、占領されています。だから日本人が、愛国心を持つ事は不可能です。日本人は、昔の思考パターンを忘れています。明治維新までは、情緒思考でした。現代は、西洋の論理思考文化に染まってしまい、情緒が理解出来ません。学校教育で、伝統文化を必修科目にして、情緒思考を復活する事が必要です。現代人は、脳を刺激する事が、理屈、論理で理解する事が、常識だと思っています。だから脳に論理思考の宗教に憑依されてます。だから娯楽、芸術も理屈や論理で脳を刺激する、美的な知的な遊びです。脳を刺激するので、心がストレスになります。当の本人は、心の癒しだと錯覚しています。現代人は、情緒が理解出来ません。論理至上主義の宗教に支配されてます。昔の日本人は、理屈は脳を刺激してストレスになるので嫌いでした。だから娯楽や伝統文化は、脳を休めて、心を癒す、情緒があるものばかりでした。日本人は、情緒思考に目覚めて、論理宗教から抜け出しましょう。そして脳の論理から情緒の心の時代の、新しい世界の手本になりましょう。 西洋文明の、宗教、芸術、科学、哲学、理性、知性は脳の論理思考の産物です。人が依存している、脳の思考は、不完全です。だから科学は自然を破壊し、人の心はストレスになりました。だから真理はありません。理由は、脳は、大宇宙では、次元が低い、不調和な存在だからです。だから脳の世界より上に、脳の世界の外に真理があります。だから東洋の聖人は、脳を否定しています。老子は、人知を否定し、無知を、ブツダは、脳の自我を否定し、無我を、日本の伝統文化は、脳の論理思考を否定して、自然の情緒を表現しています。だから真理を得るには、脳の思考を休ませる事が必要です。幸い日本には、脳を休ませる方法が多いです。座禅、瞑想、また伝統文化は、脳が休み脳波がアルファ波になり人の心と自然の情緒が交流します。
お礼
ありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありません。<(_ _)><(_ _)><(_ _)> 江戸時代は、日本人の精神性が最高の時代です。……???「精神性が最高」という意味が分かりませんが、江戸時代が、平和な時代であったことは、日本人の精神に大きな影響を与えたとは想像しています。ただ、地政学的なことだとか、時代背景だとか、いろいろな要素が絡んでくると思いますので、「江戸時代」を特筆する必要はないように感じました。<(_ _)>。 だから日本人が、愛国心を持つ事は不可能です。……そうでしょうか???私は、そこまで悲観していません。ただ、「愛国心を、あえて意識しなくてもよい、平和な時代がしばらく続いている」というだけのことだと信じたいですね。 西洋の論理思考文化に染まってしまい、情緒が理解出来ません。……ご回答の「情緒」の意味を理解できませんが、「西洋」に責任転嫁する必要は無いと思います。それとも、「西洋の論理思考」では、そもそも「情緒」というものが理解できないのでしょうか??? 学校教育で、伝統文化を必修科目にして、情緒思考を復活する事が必要です。……「教育」の問題を考えるのであれば、「学校」や「科目」のみならず、「社会」や「家庭・家族」のあり方まで総合して考えないと、方向は見いだせないし、方向を見いだしても、その通りに進むという保証はありません。「教育」に限りませんが。
- eroero4649
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>薩長藩閥政治から自民一党政治 歴史好きから申しますと、明治維新から1945年までの大日本帝国とサンフランシスコ条約で誕生した現在の日本国は分けて考えるべきだと思います。鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府も同じ武家政権だといっしょくたにしちゃいけないのと同じです。 明治政府成立辺りから、第二次大戦の終戦に至るくらいまでで、約70年が経っています。そして今、その戦後から現在までで約70年なんですね。その流れをそれぞれ比較すると、奇妙なまでの一致をみることができるんですね。大正時代の文化爛熟期と昭和恐慌、そこからの戦争に至る流れってね、バブルからその崩壊、そして今に至るまで奇妙なほどに似ているんです。 特に昭和初期に中国との関係が悪くなって、国内に「一撃膺懲論」というのが盛んになるのです。中国国民党政府に対して「中国人は分からないやつらだ。一撃を与えて思い知らせてやらないといけない」っていう機運が高まり、やがて日中戦争へとなります。その過程で国内政治は「決められない政治」に文字通りに右往左往しました。当時林銑十郎という元軍人の首相になった人がいたのですが、彼は「何もせんじゅうろう」と揶揄されました。私、昔の話をしているんですよ・笑。 あとですね、歴史に疎くても「旧日本軍のおバカな将軍たちによって最前線の兵士たちが悲惨な目に遭った」っていう話はどこかで聞いたことがあると思うのです。無謀な計画をしてその責任が現場に押し付けられて、現場が死屍累々。ん?無謀で杜撰な計画の尻ぬぐいが現場に押し付けられて現場が疲弊して死屍累々で、その責任者たちが決断できなくてズルズルしているうちに傷口がさらに広がってそのうえ責任をとらない?いえ私は東芝の話なんかしていませんよ。旧日本軍の話をしているのです・笑。
お礼
ありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありません。<(_ _)><(_ _)><(_ _)> 歴史好きから申しますと、明治維新から1945年までの大日本帝国とサンフランシスコ条約で誕生した現在の日本国は分けて考えるべきだと思います。……staratrasさんのご回答にもありましたが、まさに「2分される」ということだと学びましたが、300年後くらいには、もしかしたら、「○○な150年」とひとくくりでまとめられるような時代と評価されるのではないか???と、極めて不謹慎な質問でした。 もっとも、300年後には、地球が吹っ飛ぶような出来事が起こって、「人類の歴史」そのものが消えているかも知れませんが。 それと、現代社会というのは、「情報が多すぎる」、しかし、「それを取捨選択する力も無い自分」にとっては、「細かく分ければ、分けるほど、世の中が分からなくなってくる」という気持ちがして、「大まかにくくれば、どうなる」というような質問になったのです。(*^_^*) 彼は「何もせんじゅうろう」と揶揄されました。……(*^_^*)(*^_^*) 「人もいろいろ、評価もいろいろ」ですよね。私の古い友人で、当時、地方では、それなりの会社の「専務」とかいうのをやっていたんですが、本人は「何も専務」なんて笑っていました。それでも立派な社長になりました。ふと、想い出して「なにもせん」というのも、私には理解できない上流階級の処世術にはありかな……という気がしました。もっとも、今は「階級の如何を問わず」という側面もあるような、……あるいは、いつの時代にも、どんな階級にも……(*^_^*) あとですね、……私のこれまでのつたない経験や今の社会を観察する中でも、まさに「いろいろ、いろいろ」ですね。
- hekiyu2
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「明治以降の150年」というのを、日本史の中 でどのように評価されますか??? ↑ 白村江の大敗北から、中国化するか、独自路線を歩むかで 壬申の乱になり、結局独自路線を採ることになった あの時代を彷彿させます。 大東亜戦争の敗北で、日本は歴史に逆らって 米国追随に走りました。 これが、凶と出るか吉と出るか、懸念されるところ です。 「これからの日本の、あるいは日本人のあり方」ということについて、 普段、何か感じておられることがあれば、教えて下さい。 ↑ このまま米国追随路線を走っていてよいのか、 独自路線に切り換えるべきではないか、と 感じています。
お礼
ありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありません。<(_ _)><(_ _)><(_ _)> 白村江の大敗北から、中国化するか、独自路線を歩むかで壬申の乱になり、結局独自路線を採ることになった……日本人のくせに、日本史に全く無知です。<(_ _)>「この独自路線」というのが、「元寇」の折にも、「独立を保つことに一役買っていますかねぇ……???」……それとも飛躍のしすぎでしょうか???ふと、そんなことが思い浮かんできました。 大東亜戦争の敗北で、日本は歴史に逆らって米国追随に走りました。……「走った」というよりは、「走らされた」という気がしていますし、結果としては、「走らせた米国」でさえ、「日本の再スタートのあり方を、大きくミスしたのではないか???」と悔やんでいるのではないか???という気がしています。米国の高官ではありませんので……単なる想像です。 独自路線に切り換えるべきではないか、と感じています。 ……私も、常々、悩ましい問題だという印象を持っています。「今の日本人に与えられた最大の課題」だと思いますし、それ以上に、日本という国や国民を超越した「人間のあり方」という課題を与えられているようにも感じます。
お礼
ありがとうございました。お礼が遅くなって申し訳ありません。<(_ _)><(_ _)><(_ _)> ご回答から、初めて「意識した」のですが、まさに「2分」されますね。そう考えると、やはり「たかだか150年」だという気持ちと、「この時代に生まれてきたこと」に感謝する気持ちと。 戦後70年以上日本が戦争をしなかったということを回答者は誇りに思います。……これからの日本や国民にとって、恐ろしいのは、私もそうですが、「戦争の悲惨さということが理解できない」ということではないかという気がしています。ただ、ニュースなんかを見ていて、「子ども達や孫達の世代を、あんな悲惨な目に遭わせてはいけない。」という極めて消極的な反応しか出来ない私が恥ずかしい気持ちがあります。 人命を大切にするようになったことはその中でも特筆すべきだと考えます。……たしかに、「戦争と、それに伴う犠牲」という面では、「奇跡」にも近いかも知れませんが、社会を見ていると、別の次元で「人命を大切にする」という世界から、どんどん遠ざかっているように思います。(T_T)