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「レイテ島からの葉書」を観て。
1年ほど前に探偵ナイトスクープで放送された内容ですが、未だに強く心に残っています。 というのも、依頼者の方が私の父ととても良く似た状況で、父と重ねてしまったからです。 私の父は戦時中の昭和19年11月に生まれました。依頼者様同様、父親は生まれる父を見ずにレイテ島で戦死しました。 時代が時代なだけに、父の同年代には、写真の中の父親しか知らずに育った子供は、決してめずらしくは無かったと想像できます。 会ったことのない父親という存在。父親を知らない寂しさ。父の心の奥にそうゆう思いを感じたことがあります。 子供ごころにも、そこは触れてはいけない気がしていました。 今なら父と向き合い、その心のうちを少しは知ることができたかもしれませんが、そんな父も6年前に亡くなっており、今さらにどうすることも出来なくなってしまいました。 亡くなった祖母が定期的に靖国神社に参拝に行っていたことも、最近になって初めて知り、色々な後悔が心に残ります。 私は戦後のモノが溢れた時代に育ち、戦争に対してもどこか現実みなく過ごしてきましたが、気がつかないだけで見えてなかったものが沢山あったと思います。 私と同じような思いを持つ方、また父と同じ環境の方がおりましたら、良かったらご意見いただけませんでしょうか。
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- asflugels
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私は終戦後に生まれたので、当然父親は健在(生還)でした。なので無念さを身を持って知ることはなかったのですが、その父(もう20年前に他界しています)が生前よく聞かせてくれた(子供心には聞かされたという面もありますが)話は、まさに前線の悲惨さと苦悩、しかしその影にある希望・未来でした。 今のように個人個人が独立して、「個」を守ることを第一にする時代だったらもっといっぱい生還していたかもしれません。 しかしその場合は今の日本は存在せず、どこかの植民地だったでしょうね。 当時は自分の命と引き換えに妻や子を守るという意識が当然のことで、疑うこともなかったようです。 個人的な意見ですが、戦後多くの人が「戦争反対」「戦争は悪」「兵隊は犬死」のような発言をしています。 靖国神社問題もそうです。 戦後の日本が失った「日本人の精神」は戦争とは何の関係もないものだったのに、道徳とか潔さとかを戦争に結び付けて政治の道具に使ってきた戦後の政治家や評論家を見ると、あの番組が本当に伝えようとした涙の意味がわからないでしょうね。
お礼
なるほど、仰る通り、たしかに現代日本人と置き換えてみたら全く違う結果になっただろうと思います。 「戦争反対」「戦争は悪」「兵隊は犬死」という言葉。帰還された方々や残された遺族が、そのような発言や戦後変わりゆく日本をどう受け入れていたのかを考えてしまいます。 貴重なご意見ありがとうございました。