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ショーペンハウエルの言葉の典拠ご存知の方、教えて下さい。
ショーペンハウエルの言葉で「すべて物理的(/形而下的)なものは、同時に形而上的なものである」というのがあるそうなのですが、出典をご存じの方、教えて下さい! 私が知っているのははじつは英訳されたもので、その部分は抜き書きすると "everything physical" well said Schopenhauer " is at the same time metaphysical" のようになります。 いろいろ条件を変えながらググってみたりもしましたが、どうにも突き止めることができません。実はヤフー知恵袋の方にも質問をだしたのですが、あまり閲覧されなくて、親切に回答して下さった方はいらっしゃるのですが、ドンピシャの典拠は分からずじまいでした。 直接の出典をご存じの方、どうかお力をお貸し下さい!
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well said (おそらくそういう意味づけででいった)がくせものです。 アメリカ人がよくやることです。 自分が読んでわからない内容についてなにかと 批判・議論してしまうのです。 (ドイツ語もできないのにヘーゲルについての議論とかやりますし) 主意としては、「意思と表象としての世界」 第二の17章に記述があります。 (他ページ回答者の方の弁明の為一言: 引用英語どおりの文章がないので答えようがないのです) ショーペンハウエル自体は、 「学としての形而上学とは何か」と自問し 自然が我々に与える手がかりを 解析(entziffern)し、先見性と後天性とを哲学者が主体的に 明白如実な自己現象として結びつけること(芸術的創作) で成り立つと解釈しています。 訳文はご自分でお探しください。 「われわれの(取り扱う)形而上学は、・・・」の強調で始まる文です。 カントの形而上学原論の解釈をしている文脈なので、上記英文のように解釈するには、かなりの論理飛躍が必要です。
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原典は「小泉八雲の主張」のようです。 「日本英語崩壊」の先駆者ともいえる かれは、自分のコンプレックスから ジャーナリスティックにいろいろ あることないこと書いています。 カトリック宣教師の教育受けているから、 この解釈もうなずけます。 なにかといえば漱石の真似。 ここでも、「坊ちゃん」の一節にヘーゲルが出てくることになぞらえて(ネタの応用・自分流に消化)ただ書いてるんだと思います。 形而上という言葉に関し 表現が不正確でカトリック的ですし。 意味不明の著作がおおいし。(食いつなぎと言えばそれまでですが) いずれにしても ショーペンハウアーのことばとしては、 探してもないと思いますよ。
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ご助言、有り難うございました。仰有る通り、小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの「涅槃」という小論にある一文だったのですが、縁あってこの文章を翻訳することになりまして、引用の出典を探していたのです。下のご回答をヒントに探してみて、だいたいここだろう、というところを見つける事ができました。このサイトの皆様に感謝いたします。本当に有り難うございました。
誤植がありました 正誤表 先見→X 先験→○
- ga111
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以下がヒットしますけど、、、そのサイトにいって、なにが引用されているか見極める必要があります。コピペできませんでした。また、当たり前ですが、引用者が彼の言葉を言い換えている場合は典拠は存在しないでしょう。知恵袋のかたの言っていることが当たっているかもしれません。 A Companion to Modernist Literature and Culture - Google Books Resultby David Bradshaw, Kevin J. H. Dettmar - 2006 - Literary Criticism - 593 pages 11, and Freud 1900: 134; on the influence of Schopenhauer and other nineteenth-century philosophers of the unconscious (at a time ... only they do not see that, on the other hand, everything physical is at the same time metaphysical ...
お礼
ご助言ありがとうございました!ご紹介頂いた本を購入してみたところ、上の引用がエドワルド・ハルトマンの著作からの引用であることがわかりました。ショーペンハウアーの本の英訳版をいくつか見てみましたが、この言い回しで訳しているものはありませんでしたので、おそらくハーンはこのハルトマンの本の英訳バージョンからこの文句を又引きしたようです。ハーンの活動年代と、ハーン自身がドイツ語には通じていなかったことから考えて、上記の本が出典と考えて大過ないように思われます。大きなヒントを下さいまして、まことに有り難うございました。
お礼
ご助言、有り難うございました。『意志と・・・』の構成をよく知らなかったため、中公クラシックの3冊を買いそろえて目を皿にして探してみたものの、教えて頂いた、「第二の17章」の意味するところが分らなくて途方にくれました。中公クラシック本に収録されなかった、第二部というものがあったのですね(苦笑)。原書の第二部17章を見てみたら、これだろうな、というのが確かにありました!有り難うございました。 ところで、『意志と・・・』の英訳には該当箇所を質問に記したような言葉で訳した物はないようでした。それで、いろいろまた探してみたのですが、どうやらこの言葉は、ショーペンハウアーの思想の影響下に無意識の哲学というものを展開したエドワルド・ハルトマンという人が自著に引いたもので、ハーンはこのハルトマンの本の英訳バージョンからこの文句を又引きした、ということのようです。 いずれにしても、おかげさまで一応の解決をみることができました。誠にありがとうございました。