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ショーペンハウエルについて

この人にある文章について独断的じゃないか?と思える部分がありました。 そこで読書はただ自分の思想の湧出がとだえた時にのみ試みるべきで、事実、もっともすぐれた頭脳の持ち主でもそうしたことはよく見うけられる事実であろう。 後半部分の優れた頭脳の持ち主の間ではこういった読書方法が行われているのでしょうか。 著名な賢いと言われる人物でこういったことが行われている証拠を持って入れば提示していただけませんか? 証拠といっても何人か著名な人たちの間で、そういった方法が取られていたことを証明するものであれば構いません。

みんなの回答

回答No.3

「自分の思想の湧出がとだえた時にのみ試みるべき」 というのは、自己の知識や思索では追いつかない 疑問が生じた時、それは環境への好奇心につながる、 という事でしょう。 僕は有名人でも権威でもありませんが、本を1冊通して 読む事はなく、自分の現在の思索において不明確な 部分が好奇心に変わり、それを充たすために本屋で 立ち読みする(1章とか1ページ、時には1センテンス) だけです。 よく、「良い本を紹介して下さい」と問われますが、本屋 に並ぶような知識は古いです。

314h
質問者

お礼

ふむ、、、実際にそうしてらっしゃる方の意見は参考になります。 ここで必然的にショーペンハウアーとあなたとの間に開きがあるように思います。 良書を読むこと、つまり体系となり思索によって得られた他人の世界に入ることをよしとしている方は多いですし、実際ハウエルもそう言っていますよね。 そしてあなたはこれまたハウエルの古典を読めというのと違い、本屋に並ぶような知識は古いとおっしゃる。 どうしてそのようにお考えですか?これは最初の質問とはずれてきますので答えてもらう道理も何もないのですが、気分が乗れば答えてくださると助かります。 具体例のご回答ありがとうございました。

回答No.2

>読書はただ自分の思想の湧出がとだえた時にのみ試みるべきで、 まさに、思索する者、哲学者ならではの警句と思いますよ。 自らの思索が始まったときに、読書などという(優先順位の低い活動で)思索を中断してはならないということでしょ。 読書と思索の優先順位付けによって、哲学者と哲学学者の区別がつくといえるかもしれませんね。

314h
質問者

お礼

ですが実際は並行して行ったりするものではないですか? 私の場合はよく並行して行います。 それで、この文章の裏付けのための実際の哲学者についての証拠や他の哲学者かこの文章を取り上げ、賞賛していたという証拠が欲しいんです。 ご回答ありがとうございました。

  • ga111
  • ベストアンサー率26% (247/916)
回答No.1

お答えになっていないかもしれませんが。 ショーペンハウエルって、インド哲学を西欧に紹介したひとですから、読書なしにはそれは不可能と思います(確信はないけど)。 皮肉にいえば、そういうことを言うことで、自分の論が独創的であることを宣伝しているとも取れます。ある意味、彼自身が独創的ではないんですが。(インド哲学のお手本があるということ) 公平にいえば、その文がどういう文脈で使われているかも判断せねばなりません。 ちなみに、私は彼を嫌いではありません。

314h
質問者

お礼

ようは独断的なものだという解釈でいいんですかね。 ご回答ありがとうございました。

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