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翁・媼の年齢
かぐや姫の質問です。 昔話で、翁・媼が登場します。 翁・媼は大体おいくつくらいと、想像していてよろしいでしょうか? どうかよろしくお願い申しあげます。
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>かぐや姫の質問です。 昔話で、翁・媼が登場します。 翁・媼は大体おいくつくらいと、想像していてよろしいでしょうか? 典拠を想い出せませんが、日本では古来40をもって老いとするとなっています。40歳以降10年ごとに40の賀算、50の賀算などのように賀算(賀)といって誕生を祝う宴席を開きます。摂関などの賀算については「日本紀略」などの記録にもあります。 さらに、『伊勢物語』の97段「老いらくの」に、 「昔、堀河のおほいまうちぎみ(摂政太政大臣の藤原基経)と申すいまそがりけり。四十の賀九条の家にてせられける日、中将なりけるおきな(在原業平)、 桜花ちりかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに(桜花よ花を散らせて周りを見えないように曇らせてくれよ。老いがやってくると言う道がまぎれて分からなくなるように)」 と言う文があります。この中で「四十の賀」についてはどの解説本にも「40歳、初老に達した祝」等の解説がつきます。40歳から初老とし、老いに入ると考えられていたと言うことです。 40歳から老とする直接の典拠を忘れてしまいましたが以上、参考まで。
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当時の平均寿命は30歳代だったと思います。 男子は15歳くらいで、女子は13歳くらいで結婚しますので、(満年齢ではなく数えなので、現代に換算するともっと若い)16歳の時に生まれた子供が16歳で子供をもうけると、32歳でじいさんばあさんになります。 源氏物語の若紫のおばあさんである尼君は「40歳くらい」と描写されていますが、そのときの若紫は「10歳くらい」とありますので、尼君は30歳でおばあちゃんになった計算になります。しかも40歳の尼君は「もう私は老い先短い」とこぼして死期の近いことを感じています。(そして間もなく亡くなります) ですからご質問の答えとしては「30歳代からせいぜい40歳代」となろうかと思います。 「かぐや姫の誕生(講談社新書)」に論考があったように記憶しますが、今手元にありません。ご参考になさってみてはいかがでしょうか。
お礼
ありがとう御座います。 古代の年齢感覚の上での、30歳、40歳ですから、今私たちが、70歳、80歳というのに近い感情・感覚や意識なのでしょうね。 ですから、へぇそれで翁・媼!などと驚くことはおかしいかも知れませんね。 ありがとう御座いました。
挿絵などを見ると8・90歳の感じがしますが、 昔話などでも 昔あるところに爺さんと婆さんがあった。爺さんと婆さんは、その年になっても子どもがいなかった(まだ期待している)。のような表現があります。 ということは、40歳くらいかなと思います。 今の40歳はアラフォーなど若々しく、人によっては青春みたいな人もいますが、昔の人は人生50年という言葉からも、40歳から50歳くらいなのだろうと想像します。 ただ、この年齢で想像すると、竹取物語のイメージが大きく狂ってしまいます。 なので、今の時代にあてはめて想像するなら、竹を取りに行って細工をして生活をしている年齢と考え、後期高齢者より前の高齢者じゃないかと思います。 かぐや姫が何歳で求婚されたのか分かりませんけれど、17・8歳(たぶんもっと若い)くらいと考えると、そのくらいの人のお爺さん・お婆さんは、50代なのでしょう。 想像するのはお好きなように考えればよいと思いますが、数字を当てはめると、今の時代ひんしゅくを買いそうな年齢になると思います。
お礼
ありがとう御座います。 挿絵は現代の感覚で画くでしょうからね。 40歳そこそこで、老という字を号にして喜んでいるいる御仁も折られますから、この自分も翁を使って10数年、漸くまぁ、外見もそのようであります。 老は他義として、老熟とか、敬称にも使われますね。 老子、固有名詞でババジと同じ遣い方、呼称ですが。 老師という尊敬語もありますし。 年齢は難しいでしょうが。 私は33~47くらいかな、とも存じておりますが、いかがなものでしょうね。
補足
日本の民俗でも生まれて七日、辻に捨てて、拾ってもらい、その子を貰い受けるという風習があります。 マハバーラタでもクンティはカルナを生んで、川に流し、老戦士(クシャトリア)が男手で育て、クルス側で戦うという話。 桃太郎や、いろいろあります。 イエスが馬小屋で処女から生まれたって、何か解釈する人は、郊外のある修行団体の男性行者が拾って育てたのだとか。 聖徳太子も、クリシュナもそういう曰くが想像できて、空想しております。
お礼
ありがとう御座います。 やはり、40。不惑というのは、もしかしたらもう欲望に翻弄されないでいいことだったのかも知れませんね。 それにしても古代の40を今の私たちの40の状況景色としては見られないものなのでしょうね。 ありがとう御座いました。