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『かぐや姫と申す人ぞおはしますらむ(竹取:昇天)』での用法

 高校の古典で、竹取物語のかぐや姫の昇天を勉強しています。そのなかでいまいち理解できない一文があるので質問させていただきました。 **************** (前略)翁答へて申す、 「かぐや姫を養ひたてまつること二十余年になりぬ。『片時』とのたまふに、あやしくなりはべぬ。また異所にかぐや姫と申す人ぞおはしますらむ。」 と言ふ。 (後略) ****************  この最後の一文『また異所にかぐや姫と申す人ぞおはしますらむ』で使われている文法(おもに敬語)について考えられる解釈と現代語訳をご教授いただけませんか。  なお、このシーンはかぐや姫を迎えにきた天人(王と思しき人)に対して翁が弁明しているなかの一節です。

みんなの回答

  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.1

実は、毎年1回は出てくる質問なのです。これなんかどうでしょう。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1881976.html

tumo020
質問者

補足

 コメントありがとうございます。  教えていただいたページの回答ですが、  No.1さんの回答は、 「申す」の敬語の上での分類は謙譲Iで、竹取物語の語り手=作者がへりくだり、敬意の対象はかぐや姫、意味は特に言及していない、と自分は解釈しました。  そうすると、登場人物の発言に地の文を混ぜるというのがよくあることなのかわからなく、意味については言及なさっていらっしゃらないので、いくつかの疑問が残りました。ただ、「おはすらむ」が尊敬の「おはす」+推量の「らむ」の点は納得しました。  No.2さんの回答は、 「言う」の丁寧語で聞き手(王)を敬うということですが、申すは謙譲II(丁重語)だということを指しているのではと思います。確かに現代語訳してみると違和感はないので、これが正解かともおもえました。ですが、文化庁の「敬語の指針」を読む限り、謙譲IIは、「現代社会における敬意」などとあるように現代における言語の変化に対応する、と読み取れるため、古典でも多く使われた手法なのか、自分では判断がつかなく、釈然としません。  No.3さんも、2さんの補足的に回答されていますが、そこの質問者のお礼にもあるように、多くの参考書、webサイトなどで、謙譲語の例として扱われているのが、さらに納得できない理由です。  No.4さんは、 「申す」が「言う」の謙譲語Iで、意味が「申し上げる」、へりくだってるのは People (省略された『人々』)で、敬意の対象は「異所のかぐや姫」という解釈だと思います。これは自分も思いついた訳し方のひとつで、「また別のところに、(人々が)かぐや姫と申し上げる方がいらっしゃるのでしょう」で、特に矛盾は感じない、現代語訳のひとつだと思います。しかし、決定的かどうかがよくわかりません  No.5さんもまた、2さん=3さん=5さんで、同じ考えで、説得力もあり、現代語訳のうえでは矛盾はないように見受けられます。ですが、自分の疑問点もやはり解消されていません。  後のNo.8の投稿も説得力はありますが、すべて(わかりやすく)現代語での例文なので、同様のことが言えるかな、と。ただ、候補の一つだというのは間違いないです。  No.7さんですが、すみません、読解力不足です。前置きの部分で混乱しました。ただ、漠然と、「申す」が王に対しての敬意とおっしゃっていることはわかりました。しかし、「申す」の意味と、現代語訳がわからないので、補足があったらありがたいと思います。  No.9さんは、敬意の対象は特に定まっておらず、誰かにいけばよかったのではとおっしゃっています。これが真相な気がしますが……。  No.11さんは、謙譲Iの申す、敬意の対象は異所のかぐや姫、ということですが、へりくだったのは何なのかは判断しかねました。  他に、「~という名である」の尊敬語「申す」、敬意の対象は異所のかぐや姫として考え、「また別のところに、かぐや姫という名であらせられる方がいらっしゃるのでしょう」と訳すのもどうかと思うのですが……。  この文での『申す』の意味についてお聞きしたく、新たに質問した次第であります。  長文失礼いたしました。

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