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昔話の人物の構成について

昔話の人物構成の疑問です。 『むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが・・』で始まる昔話でストーリーに必要ないのに登場するおじいさん(おばあさん)がいるのですが、なぜその人々は登場するのでしょう? ex) 桃太郎のおじいさんは不要>おばあさんが川で洗濯中に大きな桃を拾います。おじいさんは桃太郎の成長にも特に関与しない。 かぐや姫のおばあさんも不要>竹取の翁(おじいさん)が竹の中からかぐや姫を発見(拾って帰る)おばあさんは特に活躍の場はなし。 花咲かじいさんのおばあさんも不要>おじいさんとポチ(犬)隣のいじわるじいさんはストーリー上不可欠だが、おばあさんの存在は必要とは思えない。 カチカチ山や舌きりすずめのようにストーリーの展開上おじいさんとおばあさんがペアで登場する必要があるものもあります。 一つの可能性として片親はまずい(理由は不明)ことが考えられます。しかし、元々本当の親子ではないし、父母にふさわしい年齢の夫婦でもないことから関係ないと思えます。 こういうおじいさん・おばあさんはなぜ登場するのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • anc_anc
  • ベストアンサー率33% (17/51)
回答No.1

興味深い内容だったので調べてみたら、下記のような サイトがありました。参考にいかがでしょうか。

参考URL:
http://homepage1.nifty.com/miuras-tiger/jiibaanonazo.html
shincha
質問者

お礼

ご紹介ノサイトは簡単に読めるものではないので、明日ゆっくり読ませていただきます。

その他の回答 (3)

noname#12371
noname#12371
回答No.4

【老夫婦に子どもが生まれる】   ↓ 【老人の性が(周囲から)タブー視される】   ↓ 【(老夫婦が)「奇跡」として言い訳をする】   ↓ 【その言い訳が伝説化する】 ・・・という説があります。 まず“「老齢」の基準が現代よりもずっと若い”ことに、ご注意を。 江戸時代の一般的な平均寿命は50歳代。 もっと前の時代であれば、30歳代ということもありえます。 “老夫婦”が40歳前後であれば、 じゅうぶんに「高齢出産」の可能性はありますよね? 現代よりも医療や生活環境の水準は低いですから、 奇跡的な大事件!と見られたかもしれません。 また、老人の性が前向きに語られるのは ここ20年ほどの新しい話ですから、 当時としては、「夫婦でがんばりました!」なんて とてもじゃないけど言えなかったでしょう。 「神に授かった!」などと、本人も周囲も思い込み、 それが語り継がれるうちに伝説化したのでは? 元ネタが「高齢出産ドタバタ奮闘記」だとすれば、 おじいさん・おばあさんこそ、本当の主人公。 だからこそ、物語のなかに残されたのかもしれませんね。

shincha
質問者

お礼

高齢出産による奇跡(当時は)の子供だから、普通とは違う存在である。とすると成長してから異常な才能を示したので、あれは出生も普通ではない。実は・・。ということも考えられますね。 ひとつの説としてとらえさせていただきます。 ありがとうございました。

noname#6938
noname#6938
回答No.3

日本の昔話に限らず、多くの昔話が、"話型"というものに従っています。 そして、その"話の型"には、一定の決まりきった人物が登場します。 『桃太郎』『かぐや姫』『花咲爺さん』『舌切りすずめ』の例でいえば、 【子供のいない老夫婦のもとに、ある異常な誕生を遂げた異人が住み着き、その超人的な能力で老夫婦に幸せをもたらす】 ということになるでしょう。(異人とは外部から入ってきた者ということで、人に限らず、動物、もののけ、鬼神だったりとさまざまです。) もちろん、"話型"には、物語としてのヴァリエーションがありますから、 枝葉がついたり、欠落があったりで、さまざまな差異を生じますが、話しのおおむねの基本線と登場人物の顔ぶれはどこかしら似通っていることが多いのです。 さて、ここからがご質問に対する答えになるのですが、 ここで考えていただきたいのは 子供がなぜ、いつもいつも寝る前に昔話をおねだりするのかということです。それも毎晩々々同じ話しを聞かされて、ストーリーや結末を知っているのにも関わらずです。たとえば、そこそこ面白い映画でも、毎晩々々10回も見れば、ちょっと飽きてきます。しかし、子供は昔話を毎晩のようにおねだりします。 つまりそれは、昔話というのが、映画とちがって、創られるものではなく、決められた型に従って"語られること自体"を目的とした物語であることを意味しています。 昔話のおじいさんやおばあさんは、ストーリーの展開に関わっていなくとも、登場しなければならないのです。なぜなら、それが昔話の"話型"であって、その型を与えられること自体が昔話の目的なのです。 では、なぜ、そのような"話型"が生じるのかについては、さまざまな意見があるようですので、私の意見はひとまず差し控えたいと思います。 ていうか、も、寝ます。では。(- - zzz

shincha
質問者

お礼

私が考えていなかった方向からのアプローチです。 「語られること自体を目的とした物語」ですか。話型。 ちょっと理解するのに時間をください。

  • ShaneOMac
  • ベストアンサー率39% (356/898)
回答No.2

どの話も子宝に恵まれていなかった夫婦が子(あるいはそれにかわるもの)を授かるというのが序の部分を構成する物語であるので夫婦でないと話になりません。

shincha
質問者

補足

はい。その通りです。とも言えるのですが、夫婦の必要があり、特に活躍の必要がないのであれば「おじさんとおばさん」「子供のない若夫婦」でも良いと思うのです。もっと言えば「その地方一の長者だったが子供だけがなかった」でも良いわけです。 ご回答くださった方に反論するわけではないのですが、なぜ、別パターンではいけないのかが疑問なのです。

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