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古文文法謙譲語について
- 古文文法の謙譲語について、具体的な例文を挙げながら解説しています。
- 問題文にある具体的な例文を取り上げ、謙譲語がどのように使われているかを考察しています。
- 特に、「もうで」や「たてまつり」「まかる」という表現について詳しく解説しています。
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>(僧都が尼君に)「ここにはべりながら、(源氏様の)御とぶらひにももうでざりける。」 何の巻のどのくだりでしょうか、もう少し前後の文を書いていただけると、的確なアドバイスができると思うのですが。 「若紫」でしょうか? ここの「とぶらひ」が、質問者さんの仰るように、「源氏への見舞い」であるのならば、たしかに、敬意の向きは「僧都→源氏」で正解です。 ちなみに、「もうで」は仮名遣いの誤りで、「まうで」が正しい表記です。 >会話文なので僧都が、そして動作の対象になる?源氏様を敬ってると思うのですがどうでしょうか。 「謙譲語」の敬意の向きの考え方そのものは、それで正しいです。 >(かぐや姫の翁宛の手紙)「見捨てたてまつりてまかる空よりも落ちぬべき心地ぞする。」 >たてまつりは翁だとおもうのですが >「まかる」はだれが敬う対象でしょうか? 「たてまつる」は、謙譲の補助動詞で、ここでは、翁をお見捨て申し上げて、とかぐや姫が手紙を書いているのですから、「かぐや姫→翁」で正解です。 見捨てられる(「見捨てる」動作の対象)は翁ですから。 「まかる」は、謙譲の本動詞で、「退出する(貴人の傍を離れる)」という意味です。 かぐや姫が、翁に、「私があなたをお見捨て申し上げて、あなたの傍からお離れ申し上げる、その空から今にも落ちてしまいそうな気がします(それほど、あなたの傍を離れがたく辛い)」と、手紙で別れの悲しみを述べているのです。 ですから、ここも、「かぐや姫→翁」ととるのが普通です。 が。 こうした用法の「まかる」は、もっと視野を大きくとらえる考え方もあります。 つまり、かぐや姫が個人的に翁の住む家から離れて天に帰る、という局地的な内容を述べているのではなくて、帝の統治されるこの日の本を、まあ、ひいては地上の世界を、「まかり」出でて、月の世界へ帰る、というグローバルな考え方をすれば、ここの敬意の対象は、この手紙の文中に明確に存在はしないけれども、「かぐや姫→帝」という解答も成り立つわけです。 まあ、この文だけが断片的に出題されて、機械的に敬意の対象を問うだけの設問であれば、そこまで考えさせるレベルの問題ではないと思いますが。 ちなみに、漠然と「帝」を敬う表現としては、帝のおはします「内裏」へ「参っ」たり内裏から「まかった」りは当然のこと、少し範囲を広げて、「京」へ「参っ」たり京から「まかった」り、外国人は「日本」に「参っ」たり、遣唐使など外国へ行く人は、「日本」から「まかっ」たり、かぐや姫など宇宙人は、地球(地上の国)へ「参っ」たり地球から「まかっ」たりします。 すべて、帝のおはします内裏、京都、日本、この地球、という考え方に基づいているのです。