• ベストアンサー

歌舞伎が始まった年

今、学校で社会をやっていて、江戸時代をやっています。 そこで本題ですが歌舞伎が始まった年を教えていただけませんか? 浮世絵でもいいです!  解答待っています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

歌舞伎の始まりは、出雲の阿国(いずものおくに)という女性とされています。「かぶき」とは、元々は「異様な風俗」を表す言葉で、阿国も男装して踊ったといいます。彼女が始めて踊ったのは1603年(慶長8年)とされています。京都南座の鴨川側には阿国の碑が建っています。  彼女に続いて遊女たちを中心とした女歌舞伎が現れますが、禁止され、若い男性を中心とした若衆(わかしゅう)歌舞伎も禁止されます。どちらも売春が絡んできたからとされています。  その後、成人男子を主とする野郎(やろう)歌舞伎が登場して現在に至ります。  役の女性も男性が演じるようになりますがこれを女形(おやま)といいます。  劇場も屋根で覆われるようになり、花道も出来て舞踊や音楽も豊かになります。  一度舞台をご覧になってください。理解が深まりますよ。  

noname#29510
質問者

お礼

分かりやすい説明、本当にありがとうございます! 歌舞伎について一安心しました。

その他の回答 (2)

回答No.3

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>そこで本題ですが歌舞伎が始まった年を教えていただけませんか? 確かに、他の方が示されているように、慶長8年(1603)と言う「説」が一般的ですが、天正10年(1582)が始まりだ、とする「説」もあります。 私も、慶長8年(1603)説を支持します。 (1)まず、出雲阿国(いずものおくに)には違いがないのですが、出雲阿国は、出雲で生まれ出雲大社の「巫女(みこ)」となり、文禄年間(1592~)に出雲大社勧進(かんじん=修繕費などを集める)のため諸国を回り始めました。 (2)しかし、多聞院英俊(たもんいんひでとし=奈良興福寺多聞院の院主)の「多聞院日記」に天正10年(1582)5月、 「加賀国八歳十一歳の童が春日大社で『ややこ踊り』を行った」 という記録が残されており、加賀という八歳の子どもと国(阿国のことを指す)という十一歳の子どもの二人を指すものだ、というのが「通説」になっています。しかし、ただ単に、加賀国生まれの八歳と十一歳の二人の子どもを指しているという意見もあります。 (3)この時に踊った「ややこ踊り」は、幼い子どもの踊りであった、従って、天正10年の踊りは「歌舞伎」ではない。と、いうことで「否定」されています。 (4)その後、慶長5年(1600)に、西洞院時慶(にしのとういん ときよし)の日記「時慶卿記」7月1日に、 「近衛殿のお屋敷で、晩まで出雲のややこ踊りがあった。一人はクニという踊り子であった」 と、あり、この頃、すでに阿国の名前が知られるようになったことが伺われます。 (5)阿国が「正式」に登場するのは、慶長8年(1603)5月初旬に、京都の四条河原に小屋を造り・・・と、言っても数本の「杭(くい=柱)を地面に打ち込み、「筵(むしろ)」を屋根代わりにかけただけで、阿国が男装をし夫の(夫ではないという説もある)名古屋山三郎(なごや さんざぶろう)が女装をして、茶屋遊びに通う伊達男(だておとこ=阿国)と、茶屋の女の役(=名古屋山三郎)で踊りを見せた。これが大変な人気となり、これを、当時の都人は「傾く」(かぶく=常識から外れている。突拍子もない)と言うようになり、「かぶく」から次第に「かぶき」と呼ばれるようになり、後に「歌舞伎」という漢字が当てられるようになりました。 (6)この時、阿国の結った「髷(まげ)」が「若衆髷(わかしゅまげ)として有名になり、京都、大阪、そして、江戸でも、女性の間で大流行しました。 (7)慶長12年(1607)に、千代田城で歌舞伎を演じた後、阿国の消息は途絶えたとも言われていますし、慶長17年(1612)4月に、再び、京都の御所で歌舞伎が披露されたが、その歌舞伎にも阿国が出演していた。とも言われていますが、晩年は、まったくの「謎(なぞ)」となってしまいました。 ※江戸時代、江戸城とは呼ばず、正式には「千代田城」またの名を「舞鶴城(ぶかくじょう)」と呼び、庶民は、ただ単に「お城」と呼んでいました。大阪城とか名古屋城などと区別するために後世の書物などには「江戸城」と出てきますが、「千代田城」が正しいです。 (8)旧暦4月15日、または、太陽暦4月15日を「阿国忌(き)」とされて、阿国の命日といわれていますが、消息が途絶えたのに、なぜ、4月15日かは、私にも分からないところです。 (9)元禄年間(1688~)になると、歌舞伎も様式が確立し、公許(こうきょ=おおやけに認められた)の劇場は、中村座、市村座、山村座、森田座の四件で庶民の芸能娯楽として大流行になり、また、流行の発信地ともなりました。 ただし、正徳4年(1714)1月に起きた「絵島・生島事件(えじま・いくしま事件)」で山村座は取り潰されました。 (10)興行時間は、明け六ツ(午前6時)~夕七ツ(午後4時)が取り決められていました。

  • yuyuyunn
  • ベストアンサー率41% (20359/48650)
回答No.1

こんばんは 出雲阿国が始めた年でいいのかな? 1603年 慶長8年ですね