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垂れ髪→結い髪 移行理由は歌舞伎だけ?
こんにちは。 江戸初期頃に女性の髪形は垂れ髪からいわゆる日本髪に移行しますよね。あのきっかけは何かご存知の方はいらっしゃいますか。 自分なりに調べたところ、歌舞伎役者が考案者で歌舞伎人気とともにひろまったとありますが、それだけで全日本人女性の髪形がかわってしまうのがなんとなく不思議で・・。 もし歌舞伎だけが発祥として、町娘たちだけでなく御殿女中たちも歌舞伎をみて「きゃ~、あの髪型素敵!やりたい!」って一気にひろまるのでしょうか??それをミーハーととめる年配の方などはいなかったのか?? 気になって、戦国~江戸初期の時代劇(「春日局」「大奥」とか)を見てても、ある時から突然結い上げていて、それには何もふれてくれない(^^; たわいもないことなのですが妙に気になってしまって。 どなたか教えて下さい。 ちなみに「おすべらかし」は誰が考えたのでしょうか。あれも歌舞伎役者なのかな・・。
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No.2の者です。少し参考になるかなぁと思うのは http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/onna_2.htmlです。 変遷史は私もあまり分からないのですが;、簡単にまとめると平安・鎌倉期ごろまではどのような髪型も大抵が宮廷発で(というか庶民が髪型に気を配るという考え方がそれほど無かった)、江戸期からは逆に庶民(特に役者や遊女)発になったということでしょうか・・。 No.2で答えた「江戸型のおすべらかし」のことで補足ですが、今の雛人形が「江戸型おすべらかし」のなかでも特に宮廷で結われたものをしているのですが、あれは中期ごろから庶民の間ではやりだした燈篭鬢(あの張り出てるやつですね)を取り入れて幕末にやっとできた髪形なのです。これからも分かるように、江戸期の髪型のブームは庶民→宮廷・大奥といった構図だったようです。 そしてなぜ鬢が張り出したかなのですが・・残念ながら私もその理由が見つけられなかったので本当のこととはいえないのですが、邪魔だったものをわざわざ結んだのに、なぜそこからさらに鬢が張り出したのかというと、私の考えではとにかく結髪をオシャレと考えて、より魅力的に見せようとしたからだと思います。初期の髪型に見られるように鬢が張り出しておらず、たぼを大きく張り出させた髪型は男性的に見えますし(もとが若衆髷の模倣だし)、鬢を張った方が豪華で派手に見えますし、女子高生にルーズソックスが流行ったり、若者が胸元を開けたりネクタイを緩く締めるのがカッコ良く感じるように、当時の人も着物の衿をだらしなくさせたり髪型を緩くして柔らかみを増した方が美しく感じる、という考え方があったのではないかと思います。 美しく、しかも邪魔でなく、着物に良くあい、かつ上品に見えるからこそ、江戸期に女性髷が長い間流行したのでしょう。 自分の考えのようになってしまって申し訳ありません・・。あとお勧めできる髪型に関する参考文献は 「黒髪の文化史」作者・大原梨恵子 出版社・築地書館 です。
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- bluesheep_alii
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「おすべらかし」は誰が考えたというよりか、平安・鎌倉期に、働きまわることより奥でひっそりとすごすことが貴族女性にとって当たり前になったころに、当時のステータスのようになったものです。長く、美しい髪を持つほど女性は理想的で、身の丈余る髪を垂らすことで働かず優雅に過ごしている高貴な人間であるという証拠にもなったのだと思います。 肝心の結髪ですが、江戸時代が泰平の武士の世の中であったことが理由であるかなぁと思います。いくら家にこもる妻といえどよく働くことが良き妻であった時代ですから、身の丈あまるほどの髪は当然邪魔になるので、結ぶ、という発想が生まれたのです。 現在のような結髪の引き金となったのは遊女らしいですが、なぜその遊女達が結髪を始めたかというと、戦国時代の大名達が好んだ男色思想を受け継ぎ、若衆の結髪を真似したのが始まりのようです。あと客を相手するときに長い髪があると邪魔だったのでしょう。 初期の民衆の結髪は「見返り美人」という絵に描かれるようなただまとめるだけの髪型でさすがに若衆髷とまではいきませんでしたが、途中から美しさ、先ほど述べた便利さを求めるようになってああいう特徴的かつ派手な結髪が生まれたのです。 ちなみに鬢(耳の横)が大きく張った髪形は5代将軍のころやっと出てきた髪形で、しかも大奥女性は結髪の髷の部分だけ解いて長いエクステを付け足した、結髪兼垂髪というような「江戸時代型のおすべらかし」をしていたので、あのドラマの髪型はどうも・・?です。 たまたま学校の自由研究みたいなもので調べたテーマてしたので答えさせていただきました。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。 たしかに遊女も衣装や髪型の流行の先端をいってそうですね。 遊女・歌舞伎の女形→庶民→御殿女中というゆるやかな流れで広まっていったのでしょうか。 その変遷史というか流行の伝播方法のようなものについてご存知でしたらもう少し教えて頂けますか。文献名でもかまいません。 学生時代国文科だったくせに勉強不足だったな~と今さら反省しています(^^; あ、「おすべらかし」はあの鬢の"張り出し"を誰が考えたのかなと気になったんです。 垂れ髪時の鬢が邪魔だったのでしょうか。でも宮中の中でも高級女官や姫宮たちの髪型ですよね?!そんなにハードに動き回る必要なさそうなのになぁ。 個人的には垂らしたままの平安風のが好きです。
- yuyuyunn
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こんばんは この辺が参考になりますか? http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigat2.html http://www.cosmo.ne.jp/~barber/osuberak.html ご参考までに
お礼
参考になりました。ありがとうございます。 どの髪型も最初に考えた人は斬新なアイディアの持ち主だなと思います。
お礼
bluesheep_aliiさん、再度の丁寧なご回答ありがとうございます。わかりやすく、とても納得できました。 おすべらかしは幕末の完成なんですね。江戸初期だと思っていたので驚きました。 「黒髪の文化史」とても興味深いので読んでみたいです。さっそく図書館に行ってみます。