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一隅という成句

"一隅を照らす"とか"一隅を守る"という言葉を耳にしますが、出典と前後の文章を教えてください。 確か、対句になっていて全体として実は"着眼大局着手小局"に近いニュアンスだと聞き、へーと思った記憶があるのですが手元の辞書に載っていませんでした。 出来れば白文と読み下し文があると嬉しいです。

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  • Zz_zZ
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回答No.3

http://www.ginzado.ne.jp:80/~ko33/wise01.htm 山家学生式 日本思想大系4 著 者   最 澄 発行所   岩波書店 出版年   1974.5.29 第1刷 頁数    515ページ 価格    ¥2,000 ================================================ http://www.kogakkan-u.ac.jp:80/kankou/i1book039.html 社会科学 皇學館大學元教授 野口恒樹 著 「やはり『一隅を照らす』が正しい」 B6判 100頁 700円 〒240円  近ごろ学界・教育界まれに見る論戦、 「照于一隅」 か 「照千一隅」 かの問題に、 決定的解決を与う。 ================================================ http://www.nacsis.ac.jp/sokuho/articles/AN00153789.html 38-44 木村 周照 照于一隅考 : 教學は布教に追隨すべきものか (昭和六十 二年度 天台宗教學大會記念號)【0000150669】 74-82 木村 周照 照千照于論諍の問題點 (昭和五十四年度 天台宗教學大會 記念號)【0000150432】 1-11 福井 康順 「照于一隅」問題についての結論 (昭和四十九年度 天台 宗教學大會記念號)【0000150352】 1-17 福井 康順 薗田教授著「最澄」についての駁議 : 「照于一隅」問題 を中心として (昭和四十八年度 天台宗教學大會記念號) 【0000150270】 52-60 木村 周照 照于一隅に關する疑問 : 福井博士のご所見を中心として (昭和四十七年度 天台宗教學大會記念號)【0000150340】 38-44 木村 周照 照于一隅考 : 教學は布教に追隨すべきものか (昭和六十 二年度 天台宗教學大會記念號)【0000150669】 ================================================ 天台宗典編纂所 http://www.biwa.ne.jp:80/~namu007/txt/txt.htm http://www.biwa.ne.jp:80/~namu007/txt/txd/017.htm (旧字) (http://www.biwa.ne.jp:80/~namu007/txt/txd/018.htm (新字))

noname#16572
質問者

お礼

一隅を守る者、千里を照らす 私が聞いたのは多分これです。そういえば千里という言葉にも憶えがあります。 もともと史記からきていたのですか。 長年のもやもやがすっきりしました。 本当にありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • Zz_zZ
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回答No.2

「広辞苑第五版」より 山家学生式(さんげがくしょうしき) ================================ 最澄の著。六条式・八条式・四条式の総称。818~19年(弘仁9~10)に嵯峨天皇に奏上。山家(天台宗)の修行規定を明らかにし、大乗戒を主張し、天台宗の南都仏教からの独立を宣言したもの。 山家学生式 ========== 国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。故に古人言(いわ)く、「径寸十枚、これ国宝に非ず。照千・一隅、これ則ち国宝なり」と。古哲また云く、「能(よ)く言ひて行ふこと能(あた)はざるは国の師なり。能く行ひて言ふこと能はざるは国の用(ゆう)なり。能く行ひ能く言ふは国の宝なり。三品(さんぼん)の内、ただ言ふこと能はず行ふこと能はざるを国の賊となす」と。乃(すなわ)ち道心あるの仏子を、西には菩薩と称し、東には君子と号す。悪事を己(おの)れに向(むか)へ、好事を他に与へ、己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。釈教の中、出家に二類あり。一には小乗の類、二には大乗の類なり。道心あるの仏子、即ちこれこの類なり。今、我が東州、ただ小像のみありて、未だ大類あらず。大道未だ弘まらず、大人(だいにん)興り難し。誠に願はくは、先帝の御願、天台の年分(ねんぶん)、永く大類となし、菩薩僧となさん。然るときは則ち、枳王(きおう)の夢猴(むこう)、九位、列(つらな)り落ち、覚母(かくも)の五駕(ごが)、後三、数を増さん。この心、この願、海を汲むことを忘れず、今を利し後を利して、劫(こう)を歴(ふ)れども窮(きわま)りなけん。

noname#16572
質問者

お礼

ありがとうございます。 uran3さんと同じく最澄だったのですね。 ‘山家学生式‘ さすがに難しい文章です。昔習った古文を思い出しながら 読んでみます。 古人曰くですから更に元があるかもしれませんね。 もうしばらく開けておくことにします。

  • uran3
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回答No.1

伝教大師(最澄)の著書『天台法華宗年分学生式(山家学生式)』の中に “照于一隅(一隅を照らす)”という言葉があるようです。(参考URL) http://www.kan-ki.com/kokuzou/okyou/hoka/sangaku.pdf 対句ということでしたら、“一灯照隅 万灯照国”。 こちらも、「最澄の言葉」とのことです。 http://www.kfs.rsi.co.jp/text2.html

参考URL:
http://www.biwa.ne.jp/~ichigu/main/ichigu_a.html
noname#16572
質問者

お礼

なるほど、最澄の言葉だったのですか。勉強になりました。 どうもありがとうございます。 仏典関係はチェックしてなかったので気がつきませんでした。

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