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哲学の本を読んでもあまり釈然としない感じ(なんとなくでしか理解できない)

1、使ってる言葉の活用が一般感覚と微妙にズレてる。 2、ニュアンスを伝えるのが下手な人が本を作ってる。現代の実社会などに例えるなどの具体例を多用すれば分かりやすいのに それを怠っている。 3、哲学者が主張してる内容そのものが幼稚でどうでもよくてファンタジー(無根拠)。 4、読者に読解力が無い 5、読者が哲学というものの定義を間違えている。読者は、哲学とはもっと普遍的で誰にも当てはまり、かつ深遠な洞察 だと思い込んでるが、実際は個人的(その哲学者だけの考え)なことを各々のたまってるだけなので、難しく考えようとしてる 読者には、あまりに簡単なことしか言ってなくてそのギャップのあまり逆に理解できない 因に自分は3、5だと思います

みんなの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.6

哲学は宗教に非常に近いのですね。ただ大きな違いは「信じなさい」ではなく「定義する」というところだと思いますね。 立派な哲学者は独自の世界観があり、それをどう表現するかで言語的な難解さが生まれているのだと思いますね。哲学者は言葉で表現しますが、漫画家やアニメ家は自身の世界観を漫画やアニメで表現していますね。例えば宮崎アニメの「隣のととろ」のような存在や世界観を哲学者はどう言葉で定義するかと考えればいいんじゃないかな。 哲学を学ぶということは言葉でアニメを見るがごとく哲学者の世界観を理解することなんですね。 自分の経験や学んだことを一度白紙にして哲学者の考えに自分の考えをあわす努力をしないと到底理解できないものもありますね。 いろんな分野での知識の集積が理解の手助けになるということではやはり年月も必要ですね。いくつかの世界観が見えてくると不思議に様々な哲学者の世界観も見えてくるものですね。そう思えるようになるとすでに人生は秋風から冬の木枯らしに入っていますね。 ということで「4、読者に読解力が無い。」でしょうね。 小学生に語るように、大学生に語るように、一般人に語るように、専門家に語るように、など様々な表現力があれども哲学は哲学なんでしょうね。 学んでも学んでも山また山ですね。

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  • ratesu
  • ベストアンサー率13% (16/122)
回答No.5

言葉の解釈が人によって違う。

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  • sotom
  • ベストアンサー率15% (698/4465)
回答No.4

(1)と(4)には、読者側の語彙が乏しいという共通点があります。 (2)に関しては、歴史の教科書のように、記号として暗記させるだけの 実用的ではない書物が多いのかもしれません。現代社会になじみのない 言葉で解説する傾向がありました。 (3)哲学もどきも、勿論あるでしょう。しかし、厳密に言えば、 それは哲学ではない。 (5)また、時代を経て論理を受け継ぎ、さらなる思索を重ねる事に よって、過去の論理が矛盾しているなんて事もあるでしょう。 自然科学でも同様です。代表的なモノは天動説ですね。 また、哲学にもピンからキリまであります。実用的かどうか、実生活に 即しているかどうか、確かに重要な判断基準です。しかし、それも 矛盾を理解できるまで学ばないと理解できない事も多いのです。  哲学を学ばなくても生きていく事はできます。まあ、それは昆虫と 同レベルになります。何のための哲学か、そこが重要でしょう。 最後に、難しい事を簡単に噛み砕いて説明するのは、本当に難しい事 です。表面上の理解ではなく、体得する必要があります。それが実証 ですね。「仮説→実証」。これの繰り返しなんでしょうね。だから、 思索だけではダメなんですよねw

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  • mintarou1
  • ベストアンサー率30% (22/73)
回答No.3

. これは、ある意味、きちんと考えなきゃいけない問題だと思いますね。 ともあれ、自分は、質問者と少し、違った考えをしているので、まず、そこを書きます。 ・哲学は、数学に似て、理解(腑に落ちるの)にセンスが必要だと思います。  ある哲学者の著書には、センスが必要だから、向き不向きがあると、はっきり書いています。  この著者は、カントの研究で有名な人ですが、カントを理解するのに大変だった。哲学は難しいものだと言っています。  別の哲学者の著書には、本人が哲学が腑に落ちるのになるまで、10年かかった。年月、体験、年齢も関係あるのではないか?と書いていますね。 自分も哲学が「腑に落ちる」様になるまで、長い年月を要しています。 質問者さんは、3番で「内容そのものが幼稚でどうでもよくファンタジー」と書いていますが、哲学の問題は、ある意味どうでもいいような、生活する上でまったく関係のないことを考える事が多い面は否定できないと思います。  「心とは何か」「死とは何か」「自分とは何か」「存在とは何か」・・・  これを、「ファンタジ-」と考えるか、真摯な問題と受け取るかは、哲学するうえでの資質に大きく関係すると思いますけどね・・・ いいとか、悪いとかの問題ではなく、個性(この表現が正しいのかな?)の問題であるとも思います。 ・一方では、哲学も「普通の人にわかるもの」と考え、その考えのもと、一般の言葉で伝えようと努力している方も少なくないです。  自分も、哲学を理解したくて、色々な著者の著書を開いてきましたし、今も開いていますが、買うと大変なので、大きな書店で何冊も立ち読みをします。そうすると、著者により哲学の分かりやすさに大きい差があることに驚きます。 著者との相性も大きいと思います。 (基本的に、自分の場合翻訳本とは相性が悪いです。著者が自分の頭で一度理解し、それを自分の言葉で語っていることが前提になりますね。) ・自分が最近読んだ本で、分かりやすかったのは   ・哲学のモノサシ・西研・NHK出版    (この人の本は、やさしいものから、難しいものまで幅が広いですね。)   ・ツチヤ教授の哲学講義・土屋賢二・岩波書店   ・池田晶子さんの「14歳からの哲学」・・これは、読者の好き嫌いが分かれる本だと思います。   ・それから、穴場というか、哲学書ではなく、よく考えて読むと、哲学的内容に通じてくる感じするのが養老孟司さんの本ですね。平易な言葉で深遠な事をさらっと書いているので、すごい人だなといつも感心します。 話の趣旨が分かりにくいと思いますが、質問者と感じている部分が異なる点を書かせてもらいました。 上に上げた本は、よかったら、立ち読みでも開いてみてください。 著者により、分かりやすさの差が大きいことに驚いてもらえると嬉しいのですが・・・・ .

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  • 6750-sa
  • ベストアンサー率26% (438/1656)
回答No.2

4以外のすべてだと思います。 哲学は個人がもがき苦しんだり、あえいだりして到達する「個」の世界だと思います。 その中で、他者と共有できるものはあるでしょうけど、哲学特有の     「・・・である。」 的な結論は、あくまで「個」の所見であって、他人が適用しようとするものではないと考えます。 たとえば、人生とはなんですか? に対して「それは愛である」でも、「死である」でも個人としてたどり着くのでなければ文字遊びでしかないと思う。 でも、人は簡単には結論にたどり着けないから、意見を求める 先人が見つけたものでも、ゴミ捨て場で見つけたモノでもその人の求めるものが見つかればそれはそれでもいい。 それを見つけ難くしている難しい言葉は、現実的、実用的な哲学を普通の人々を遠ざける。 教養としての哲学ではなく、生きざまとしての哲学は「実」があると思います。

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  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.1

私も哲学に興味が有るので、何度と無くトライしては挫折してきたものです。ご質問者様の要因分析はかなり的を得ていると思います。 一番の要因は、5では無いでしょうか?哲学とは元々は学、諸問題を明確化し、理性と知性で解決法を見出す、広義の学問を指すので、哲学者のそれが全て『普遍的』では無いのだと思います。 ただ、これまでの哲学者が残してきた(生き残った)知的作業は、その時代の読者(使用者)にとって、それぞれに意味があるから有ると仮定すれば、我々もその哲学そのものを理解するのではなく、自分にとって都合の良いところだけを取り上げて使用すれば良いのだと思います。

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